Playback

2011年01月30日

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アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ
1955〜1990
nightintunisiaA Night in TUNISIA
〜Vik:1957年4月2,8日
「チュニジアの夜」の作曲はディジー・ガレスピー。
メッセンジャーズの重要なレパートリーとなる
国内では'74年にビクター
よりRCA Jazz Spirit 1,300円シリーズとして発売。
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ジャズという種類の音楽を聴き始めて早々、「チュニジアの夜」(A Night in Tunisia) というちょっとエキゾチックな響きの曲名と、演奏していたアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズというバンド名に惹きつけられた。
タイトルとバンド名に妙にくすぐられたのだ。
早速レコード店でブレイキーの棚を漁ってみると「チュニジアの夜」というアルバムがすぐに見付かり、メッセンジャーズコレクションの最初の一枚となった。定番中の定番「モーニン」Moanin'より先だった。
続けて同時期の同じメンバーによるアルバムも順次手に入れながら、少しずつ耳、いゃ体を慣らしていくというジャズ入門コースをたどった。
JM1957

(1956年末から1957年秋までの一年間にメッセンジャーズ名義の録音が8レーベルに10枚ほどある。)

しかし!である。
このビクター版「チュニジアの夜」の日本語ライナーを読んでみると
「・・この時期のメッセンジャーズは「暗黒時代」と呼ばれる低迷期にあった」となっているではないか! 
ア・ン・コ・ク・・ジダイ〜!!
当時これらの国内盤はほぼ全て廉価シリーズで売り出されていて、購入しやすかったのも事実。
「さてはまがい物の投げ売り、ババ引かされた〜」・・と落胆して見捨てたかというと、実はそうでもなく、繰り返し聞き込んだ。
ひな鳥が卵からかえって最初に見たものを親だと思い込む刷り込み現象、本能行動のようなものだろうか、今でも好きで結構聴いている。

では「暗黒時代」なんて一体誰が何を根拠に云ったのか・・というと
云った(書いた)のは、今は亡き油井正一その人。
ビクター盤のライナーが動かぬ証拠。
またメンバーが若手中心で決定的スター不在、録音先レーベルも次々に変わり落ち着いた演奏活動が出来なかったなどというのがその理由なのだが・・・・
今でも油井さんのファンである。それでもレコードを聴く限り「暗黒時代」はちょいと言い過ぎじゃないの?‥と思う。
大物批評家も筆が滑ったか、それとも案外、確信犯的な煽りだったかもしれない。確かに行間からは支持するニュアンスが滲み出ている。
・・・いずれにせよもう時効ということだ。

ジャズ界の名門バンドであり、幾多のスタープレイヤーを輩出し続けたメッセンジャーズ。
その35年の歴史には好不調の波、山も谷もあって当然だろう。
今では、油井さんの呪縛も解かれ、ジャッキー・マクリーン、ビル・ハードマン、ジョニー・グリフィンのいたこの時期の録音も、典型的ハードバップの名演奏と再評価されているのが嬉しい。

ホレス・シルバーのいた初期、58年「モーニン」のファンキー時代、ショーターほか3管編成時代、など絶頂期のものついて今更あれこれ言うのは止しておこう。
ジャズの聴き始め、右も左も分からなかった若造には、安くてありがたかった「暗黒時代もの」、ジャズにまつわる個人的原風景にも似た1957年のアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの録音こそ、谷間に咲いた百合のように、今も心に残る傑作ばかりだ。

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nit
A NIGHT IN TUNISIA
〜BLUE NOTE
1960年8月14日
メッセンジャーズの「チュニジアの夜」なら、モーガン、ショーター、ティモンズのこちら
ブルーノート盤が本命か。

ほかにも「クラブ・サンジェルマン」など対抗には事欠かない。
ならば暗黒呼ばわりだったビクター盤は大穴、万馬券ですな!
ちなみに、アート・ブレイキーは、競馬が好きだったらしい・・・・
(アート・ブレイキーに競馬が好きかと訊ねたら〜武市好古1992年てな本もありました)参考まで・・

じゃぁ また


(16:26)

2010年08月29日

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ボブ・ディラン 2

ディランに付いてもう一項を追加してみたい。
(前回の)Playback3で「結局よく分からない・・」と結論したにもかかわらず・・である。誰も読まない隠れブログ故、勝手にやらせて頂く。

「転がる石のように」などというタイトルに16~7歳の少年(僕=餓鬼)は随分とドキドキさせられたものだ。曲の方は自立や放浪、反抗などを直截に煽ると云う内容でもないのだが、勝手にそういう雰囲気で捉えて、一人ときめいていた。
実のところは、レコード会社や音楽ジャーナリズムによって創り出された「ディラン伝説・神話」といったものに乗せられ、たわいなく転がされていたに過ぎない。
A rolling stone gathers no moss. 〜「転石苔を生ぜず」という云い方もその頃知った。「常に活発に動いていればいつまでも新鮮だ」・・・と
その後、上京してからはアルバイトと旅に明け暮れ、カメラマン稼業に落ち着くまで6年間も転がってしまった。
「転石〜」にはもうひとつ「職を転々と変える人間は大成しない」の意もあって、こちらの方が文句なしに正しかった訳だが後の祭りである。

さて、そのLike a Rolling Stoneは6枚目のアルバム、HIGHWAY 61 REVISITEDのA面一曲目に入っている。エレキギターに持ち替えフォークロックヘ転向したことで物議を醸した時期の三枚のアルバムのひとつだ。
folkrock
其の三枚とは
左:Bringing It All Back Home(1965)
右:HIGHTWAY 61 REVISITED(1965)
中:BLOND ON BLOND (1966)

ディランの代表作というばかりでなくロックの傑作として必ず挙げられるアルバムだ。「フォークロックとは?」と尋ねられたらこの辺を聴いてもらえば良く、リズム、メロディーとも分かり易い曲が並んでいる。
66年の2枚組 BLOND ON BLOND(写真中央) は特に良く聴いたレコードで、後にCDでも改めて買い直した。
ちなみにNHK-BSで放送され中高年を驚喜させた「BSフォーク大全集」のオープニングテーマに使われた I Want Youはこのアルバムに入っている。よくぞこれを使ってくれた!
個人的にも「若気の至り」満載の二十代を振り返ってみるときのBGMにピタッと来るサウンドである。
歌詞は今もって良く分からんが、とっても好きな良い曲ばかり・・・
と人生の坂道を転がり落ちながらも手放せない。
今夜もレコード回しては「思い出し赤面」している石ころのようなカメラマンの青春の淡い光である!


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ついでながら
ndhNO DIRECTION HOME
     〜 BOB DYLAN
(DVD)
マーティン・スコセッシ監督作品
生い立ちからデビュー、そして1966年ポップスターに上り詰めるまでを、ディラン自身および関係者のインタビュー、多数の未発表を含む記録映像でたどったドキュメンタリー(2005年)

僕は伝説の1962~66年をリアルタイムで聴いていたわけではなく、後追いの追っかけ組だ。(74年のライブ盤以降が生ディランとなる)
ディラン伝説ってどこまでホントなんだよってずっと思ってました。
が、2007年に出たこのDVDを観てなるほどそうだったのか!と
30年経ってやっとスキッリしたのです。
今じゃ、詩人としてノーベル文学賞候補の噂も囁かれるディランさん!
訳分からんがまた、転がされそう・・かも

じゃぁ また



















(18:26)

2010年04月04日

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ボブ・ディラン
dylan

レコード棚にディランのアルバムがデビュー作『BOB DYLAN』(1962年)から順番に'80年代始め頃のものまで20数枚並んでいる。
最初の4枚はフォークシンガー時代のもので、『時代は変わる』THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN' は第3作に当たる。プロテストソングと呼ばれる政治、社会的抗議のメッセージを込めた歌が並ぶ代表作で、ジャケット写真もなかなか渋い。

生ギターいっぽんと自分の声だけで、戦争とか社会的不正を告発するというスタイルに、16歳の少年だった私の心はいとも簡単に揺さぶられたのだった。
『時代は変わる』は、1963年の発表だから、リアルタイムで聴いたわけではない。遡って買い求めた訳だが、ディラン自身はとっくにエレキギターに持ちかえてロックをやっていた。そのロック転向のストーリーも散々語り尽くされているが、当時は少年をもう一度奮い立たせるほど刺激的情報だった。

今にして思えば、商売でやってるレコード会社の広報、宣伝にコロッと乗せられたわけたが、難しい単語が並び、暗喩が多いというディランの歌詞がスルスルと理解出来るはずもない。
歌詞カードと翻訳を見ながら、時には辞書を片手に、分かったつもりになるしかなく、どこか落ち着きが悪かったのが本当のところだ。

先日ディランが9年ぶりに来日したが今回はパスしてしまった。個人的に
to do的な優先順位が下がってしまったのは否めない。
9年前東京フォーラムでのコンサートの最中、うるんだ視線をステージに向けながら熱狂する、同世代のおじさん達の横顔をチラッと盗み見てしまった瞬間、気持ちがスーッと醒めた状態に落ちてしまった。「あ!分かったふりだ、やっぱりな!」と思ってしまったからだ……。

親しい言語とはいえ英語は自分にとっては、日常生活で使うことのない他国の言葉だ。
毎日使っている日本語でさえ歌の文句にはよく分からない表現が多い。
音楽はただ感じ取れば良いともいうが、ディランをして詩人だとか、ロックに知性を与えたという評価を支持するのなら矛盾が生じる。
いまでも時々ディランのレコードを回しているのだが、相変わらず靴の上から足を掻くようなもどかしさが残る、と云うのが正直なところだ。

Do you speak English ?
そこのディラン通、如何?

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やはり母国語は有り難い。最近はディランの「時代は変わる」よりも中島みゆきの「時代」を徳永英明のカバーで聴く方がグッとくるもんなぁ・・・と正直に云えるもんね!
たしかに時代は変わるし、自分も変わります。

じゃぁ また

(18:47)

2010年03月31日

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サイモン&ガーファンクル
S&G-1

シングル(EP)盤でヒット曲を追いかけることを卒業し、アルバム単位、作品としての音楽を意識するようになった一枚。
「明日に架ける橋」とはA面一曲目のタイトル曲というより、アルバム全体、ひと纏まり11曲を指す。

このアルバムの音を聴き、ジャケットを眺めることで、学校では習わない幾つかの英単語を覚えたし、ポール・サイモンが小柄な男だったり、フランク・ロイド・ライトが建築家だったり、ニューヨークの街路はアベニューとストリートからなるというようなことを知った。
ちょっと大袈裟な盛り上がりの「明日に架ける橋」や同じくヒット曲の
「コンドルは飛んで行く」などより、「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」「ソング・フォー・ジ・アスキング」そして「ニューヨークの少年」といった佳作に惹かれた。
遠いニューヨークという街に行ってみたいと思い、後年それが実現したときはウォークマンで聴きながら歩いた。(・・過去ログ)

今、針を落として、アナログサウンドを聴きながら、
手に入れてから今日までを指折り数えて、あらためて驚いた。
そろそろ40年近い歳月が経とうとしている。
上京、移転、そして何よりCDの普及といった大きな転機にも、一度も手放さず、手の届くところに置いてきた。
数え切れないくらいのモノを手に入れては失ってきたというのに。
少年の頃なら真っ直ぐに「タ・カ・ラ・モ・ノ 」と呼べたかも。

今はもう、人前で聴くのは気恥ずかしく、ちょっとくたびれたジャケットが愛おしく、胸の上の方、ちょうど鎖骨のあたりがムズムズっとするだけだ。


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S&G2
SIMON & GARFUNKEL'S
GREATEST HITS II
 CBS (LP)
’71年「明日に架ける橋」に続いて出たこの日本編集のベストアルバムも良く聴いた一枚。ここから遡って過去の4作も揃えた。




S&G-2
CDでもひと通り揃っていて
「やっぱ便利だよなぁ・・」
とか云いながらこっそりとオフィスや車の中で聴いてます。
時々ですけど・・・・

じゃぁ また


(19:09)

2010年03月29日

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ハーブ・アルパート&ティファナブラス

中学生になった頃、洋楽を聴くようになった。
これはラジオの深夜放送の影響が大きい・・というよりそれが全てと云っていい。
音楽はいつも遠いところから電波に乗って運ばれてきて小さなトランジスタラジオを鳴らした。

そんなある日、これはテレビCMのバックに流れた曲に惹き付けられた。
確かローヤルゼリーの広告だったはずで、軽快でなんだか元気が湧いて来るような、今思えばまさに健康食品の広告に相応しい、そんな曲だった。
後日その曲は A Taste of Honey(蜜の味)だと知る。(なるほど!)
演奏していたのはハーブ・アルパート と ティファナブラス

住んでいた小さな町では手に入らない「蜜の味」を求め、大きな町へ
レコードを買いに行った。
EPと云っていたシングル盤とさらに同曲の入ったコンパクト盤も一緒に買った。
(結構無理したと思う)
HA-2

コンパクト盤とは17cmサイズで33回転
4曲ほど入った
ミニアルバムのこと
シングル  400円
コンパクト 600円
1969~70年



家へ帰って、当時はポータブル電蓄で聴いたはずで、いつもはラジオから流れそのまま消えてしまう音楽というものを手に入れ、何度でも繰り返して聴ける喜びを感じたに違いない(今もそうだから)

そしてもう一枚のコンパクト盤に針を落として、最初に出たサウンドに飛び上がらんばかりに驚いた。
その時はまだ曲のタイトルを知らなかった深夜放送オールナイトニッポンのテーマ曲、今や誰もが知っているあの曲、
ビタースイート・サンバ(Bittersweet Samba)だったのだから。

知らないことばかりの中学生は、この偶然の大発見に狂喜乱舞したといっていい。
あの瞬間の驚きと喜びというものには、その後そう何度も出会ってはいないだろう。

時が過ぎ、もっと甘い「蜜の味」を求めた訳ではないが、とにかく一番大きい町へ出た。
若気の至り、斜に構えてジャズなど聴き漁りながら、知らなくても良いことばかり知ってしまった頃、ハーブ・アルパートが再び現れた。
今度は16ビートに乗った、フュージョンと呼ばれるタイプの曲だった。
CMにも使われ話題になったが、心が大きく動くことはなかった。
HA-4

RISE1979年

Beyond1980年

A&M
アルファレコード/LP




さらに時が過ぎ最近、三度目に手に入れたハーブ・アルパートは、
CDで再発されたティファナブラス第4作目のアルバム
Whipped Cream & Other Delights
 もちろんあの「蜜の味」も「オールナイト・・」も入っている。
最新のデジタル技術でリマスターされクリアになった音で聴く昔のティファナサウンド。
夢心地で聴いていると、あの頃の、中学生のままの自分が見えてくる。
聴き終わり、静けさの中でまた想う、「蜜の味」などそう簡単には味わえない日々の暮らしには、そのほろ苦いサンバというタイトルの方が似合っていると。
HA-3
WHIPPED CREAM
& OTHER DELIGHTS

「蜜の味
〜ビタースイートサンバ」
オリジナル1965年4月
リマスター2005年8月
キングレコード
紙ジャケット仕様CD




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A&Mレコードの創始者、インテリで芸術家で秀でたビジネスマンでもあるハーブ・アルパートは、いまも変わらず活躍中である。
あやかりたいものです。

んじゃ また


















(18:05)