a day in the life

2015年09月30日

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またまた懲りもせず、今月から旅行・観光ガイドのナビゲーター
というものになってしましました。
とりあえず覗いてみてください
スクリーンショット

まえの雑コラム集合サイトよりちょっといいかもしれません(^_^;)
最初の記事がこれ→熊本城
さてどこまでいけるやら、よろしくお願いしますよ〜


(00:37)

2012年01月22日

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この週末、久しぶりに雨が降った。
潤いを与えるはずの恵みの雨は、雪まじりとなり、さらに悲しみの雨、いわゆる涙雨になってしまった。
数日前、旧知のモデル事務所の女性マネージャーの訃報に接していた。
冷たい雨の土曜日、多くの弔問客にまじって彼女の遺影と対面した。

翌日の今日は、レコードとCDを聴きビデオ映像を観て過ごした。
’85〜6年頃のスティングの音楽である。
早いものでもう25年、四半世紀が経過している。

あの頃、まだアシスタントだった僕は、独立を考えながらも不安な日々を送っていた。
同じ頃、立ち上がったばかりのモデル事務所があった。
代表と二人の女性マネージャーで始めた会社もやはり、先行きの不安があっただろう。
そんなハードタイムに僕たちは出会ったのだ。
亡くなったしたのは、その二人のマネージャーのうちの一人だ。
彼女はスティングが好きだった。


stingブルー・タートルの夢
The dream of the blue turtles
1985年 LPレコード
ナッシング・ライク・ザ・サン/NOTHING LIKE THE SUN
1987年  CD
なか一作('86)を挟んでメディアがLPからCD へと変わっている。
86年はCD とLPレコードの売り上げ数が逆転した年だ



1986年6月、道玄坂渋谷ジョイシネマのレイトショーでモデル事務所の代表、二人のマネージャーと僕の4人は席を並べて、スティングの映画
Sting / Bring on the Night を観た。
ドキュメンタリーとしても素晴らしい音楽映画だった。
その3ヶ月後、僕は独立しフリーランスになった。

その後彼らの会社は、質の高いモデルを提供する事務所として成功し今日に至っている。
僕はモデル事務所との縁が薄くなり、連絡を取り合うこともなくなってしまった。25年前、それぞれの人生が一瞬交差し、その後はまた別々の
25年を生きたと云ってもいいだろう。

彼女は病を発症後、半年で逝ってしまったという。
死期を悟ったとき、自分の葬儀に来てくれるであろう友人知人に向けて、自筆のメッセージを残していた。たくさんの思い出の写真とともに。
なかでもスティングと並んで撮った一枚がひときわ輝いていた、
そして「やっぱりスティング最高!」と結んでいた。ずっとファンであり続けたのだ。

20年以上も会わなかったが、時々に思い出していたのは、やはりスティングの音楽でつながっていたからかもしれない。幸せな後半生だったと信じたい。
とにかく、「ずっと会いに行かなくてごめんなさい、これからはスティングを聞くたびにあなたのことを思い出します」、と写真の彼女に手を合わせた。
スティングは今もなお、輝き続けている。
長かったようで、本当に一瞬のような四半世紀だった。
心からご冥福を祈ります。


sting2 1
ブルー・タートルの夢 / スティング 
Bring on the Night  DVD
1985年制作(日本公開1986年)
ユニバーサル
公開当時は、前作の「ブルー・タートルの夢」がそのまま邦題になっていた。
派手さのない手法ながら、スティングがいう「バンド誕生の記録」を刻んでいる。
今観ても少しも古さを感じさせない、ロック・ドキュメンタリーの傑作である。 

(23:52)

2010年02月28日

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僕も折りに触れ眺めている学研の「歴史群像シリーズ」
まず何と云ってもその顔と云うべきカバーが秀逸です。筆書きの題字と英傑のイラストレーションが、読者を歴史探訪へと誘います。この雰囲気に呑まれてレコードやCDのようにジャケ買いしてしまったという歴史愛好の方も多いことでしょう。
そのカバーに印象的なイラストレーションを提供していたのが毛利 彰さんでした。毛利さんの臨場感あふれるイラストがこのシリーズの人気に大きく貢献していることは疑いの余地もありません。
                      毛利彰についはこちらrekisi

今回、この書き込みにあたって検索してみると・・・
なんと一昨年(2008年)4月「郷里鳥取の病院で呼吸不全のため死去」とあって驚きました。長く入院されていたのでしょうか。
実はかつて、僅かながら毛利さんと面識がありました。二十数年前のことです。
僕が写真の世界に入って最初に付いたカメラマン西田氏(最初の師匠)のさらに仕事上の先輩だった方です。(僕などは気安く口をきける立場じゃなかったです)

当時毛利さんはイラストの下絵用に、資料として甲冑などの写真撮影をされていました。時には毛利さん自ら鎧や兜を着けて、師匠が撮影するということがありました。群像シリーズの中にも下絵や原画を拝見したものが何点かあります。

で、これはちょっと苦い思い出になりますが、当時プロ意識の欠けらもない半人前(以下)の助手だった僕は、その毛利さんの資料撮影の当日、寝坊してしまう(それも電話で起こされる)という大失態を演じてしまったのです。血の気も引きましたね。
とるものもとりあえず撮影場所の原宿スタジオへダッシュしました。
もう消え入りたいような思いと、大目玉を食らうのを覚悟でスタジオへ入ってゆくと、師匠も毛利さんも、苦笑いで多くは語らず、次々に仕事の指示を与えて下さいました。
居場所を造って頂いた感じが今でも忘れられません。
撮影終了後、三人で原宿竹下通りの喫茶店で珈琲を飲みましたが、最後まで遅刻についてのお咎めはありませんでした。

その後独立して助手やスタッフを使う立場になってからはこの時の経験で、本人が十分に自覚、反省し、申し訳なく思っているところを、あえて鞭打つような叱責は、とくに衆目のある所では、しないよう心がけました。現場の雰囲気も悪くなりますから。どうしても必要な時は、後で冷静に諭すほうがいいと。(時々忘れそーになります)

あれから四半世紀、
師匠の西田氏は三年前、病を得て他界し、今回また毛利さんの逝去を知りました。遅刻の思い出、原宿スタジオも一昨年、ビルの老朽化により閉鎖されました。確実に時は過ぎてゆきます。
短い時間の中で、お二人にとても多くのことを教えて頂いたことを感謝し、改めてご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。

先輩方、僕にはもう少し時間が必要です、たぶん記録にも記憶にもまして歴史には残らない人生かもしれませんが、まぁ顔上げて歩いて行こうかな・・・と思ってます。
お守り下さいませ!

じゃぁ また


(15:45)

2010年01月18日

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明石市は日本標準時の町、東経135度、子午線(南北線)の通る町と小学校の頃から教えられてきました(今は違うのかも(^_^;)
実際、東経135度「子午線のまち」としては三木、福知山、丹波ほか12の市があって、それぞれに標識、塔などのモニュメントを掲げているそうですから。それでも標準時といえば明石と反射的に答えてしまうのは明石々々と刷り込まれてきたのと、ここにある明石天文台(明石市立天文科学館)の存在が大きいからでしょうか。

akashi2Akahsi1


明石市立天文科学館
兵庫県明石市人丸2-6

標準時を刻む時計塔(高さ54m SEIKO製)とプラネタリウム投影室。
開館50周年(2010年6月)に向けて内装リニューアル中で休館でした、残念!また今度です。

写真左は山陽電鉄、人丸前駅のホームを横(縦?)切る子午線の表示。
背後に天文科学館の時計塔が見えます。ちょうど正午、背中に南中した太陽の光を感じながらシャッター切りました。「ときのまち」を感じます。
また、明石港と淡路島の岩屋港を往復する明石淡路フェリー、通称「たこフェリー」で海峡遊覧すると子午線通過記念証がもらえたりと、ここでも子午線の町をアピールしていました。

_DSC0075明石海峡大橋
神戸と淡路市を結ぶ、全長3,911m 高さ298m
明石海峡に架かる世界最長の吊り橋ということです。
今回は船から見上げてきましたが、通行料は片道2300円(普通車)だそうでこれも世界一じゃないの!!

さて、一日を明石の町に過ごし宿伯先の大阪へ戻りながら、明石城、明石海峡、海峡大橋、明石のタコや明石焼きを想いながら、やっぱり天文台のプラネタリウムが見られなかったのがちょっと残念だったなぁ・・・・と。
ずっと明石天文台に惹かれていたのは、ある物語の存在があったからなのです。
大阪のシンボル?「通天閣」「明石天文台」がキーワードになっている、その物語へと話はつながって行くのですが・・・

この話、次へつづきます。もう少々お付き合い下さい。
「ココニイルコト」

じゃぁ また










(10:39)

2009年11月17日

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地下鉄に乗ったら、目に飛び込んできた某洋酒メーカーの広告。
えっ!・・と一瞬目を疑った。
赤字で「NO MUSIC,NO WHISKY.」とある!?。
それにしても、これ「No〜,No〜.構文」でちょっと流行ったアレのパクりかぁ!と他人事ながら心配になった。しかしよ〜く見るとあのレコード販売店とのコラボってことになっていて、有名ミュージシャン6組とウイスキー6種の組み合わせで打った、大規模販促キャンペーンということらしい。予算って有るところにはあるのだなぁ!う〜ん
suntory

では僕が事業仕分けでバッサリと切ってみよう
本音を質せば、昨今の若者が離れてゆくウイスキーコンパクトディスクという商品を扱う両社が、危機感を持って手を組んだってことなのだろう、きっと。
それにしてもこういうことを本気で「カッコいい」とか「オシャれ〜」と思っているようなクリエーターさん(とやら)がいまだに健在なんだなぁ!大丈夫かぁ?お気楽でウラヤマシイゾ。
でも今の若者は「ウイスキーの主成分は税金広告宣伝費」ということくらいちゃ〜んと知っている。
こんなハイボールの泡みたいな広告やってたらますます売れなくなりまっせ、S社長っ!
「大人のウイスキー文化が消滅する」なんてことを本気で憂えているんなら、いっそライバル洋酒メーカーN社とのコラボでもやったらどうか。
モデルは自社の疲れた営業マン、
あの有名コピーもいただこう。
「酒は流れない、在庫は積み重なる。」
〜窓際営業のトホホな毎日〜
買って下さいお願いしますってやってみたら
まぁ 余計なお世話だけど・・・

ついでに一句〜
まかないは 麦より胡麻の さじ加減
お呼びでない?
こりゃまた失礼しました〜っ

じゃぁ また




(21:57)

2009年09月15日

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(13日のつづき)
保存修理工事中で川越城を見ることは出来ませんでした。
それではと「小江戸」川越、朝ドラ「つばさ」の街を歩いてみたのですが・・・・・
 歩行者天国となって賑わう蔵造りの町並み
kawagoe2

観光ガイド「るるブログ」のようなものは僕には書けないようで、やはり視線は妙なところへ行ってしまうのです。

kawagoe2割烹料理店のウィンドウに
「ナイトフライ」!?

裏通りを歩いていると、良い雰囲気の割烹料理店が。
観光客相手のランチサービスなどもやっているようですが、目に留まったのはフレームに入れて掲げられたLPレコードのジャケット。店主の趣味でしょうか。それにしてもドナルド・フェイゲン「ナイトフライ」じゃありませんか!
唐突の感は否めませんでしたが、しばらく眺めるうちに想像も拡がって思わず笑みがこぼれてくるのでした。

fagenナイトフライ
ドナルド・フェイゲン(LP)
1982年 / Warner Bros.
スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲン初のソロアルバム。
楽曲はもちろん、完全デジタル録音された音の良いレコードとして今でもロック、ジャズ両方のファンに支持されています。
この’82年は初めてCDが世に出た年でもあります。


さて件の料理屋のご亭主、まだCDというメディアが出回る前の’82~3年頃この「ナイトフライ」を買ったとしたら現在は50歳位でしょうか。
東京での学生時代、モラトリアムの時代にはバックグラウンドで「ナイトフライ」が流れていたのかも。
大江戸の夢の続きを小江戸で反芻しながら暖簾を守っていらっしゃるのでしょうか。
音楽のある風景から、会ったこともない他人の人生に勝手な想像が膨らみます。

話をレコードに戻して、この「ナイトフライ」はモノクロのジャケ写のかっこ良さも当初から人気の要因になっていて、所謂「ジャケ買い」をした人も結構多いはず。
ちょっと分かり難いかも知れませんがジャケ写の中でデスクに置かれているレコードはソニー・ロリンズ1958年の「コンテンポラリー・リーダーズ」ですね。
アルバムのライナーでフェイゲンが「50年代後半から60年代の初めにかけて、アメリカ北東部の街の郊外で育った自分のような若者・・・云々」と云っている時代をイメージさせる仕掛けになっています。

sonySonny Rollins &
The Contemporary Leaders

ソニー・ロリンズ 1958年10月
米西海岸の代表的レーベル「コンテンポラリー」」でリーダーアルバムを作ったミュージシャン達をバックに録音。100パーセントのモダンジャズです。追加の「ジャケ買い」をしたロック小僧はズっこけただろーね(ジャケ写はカラーです)


「小江戸」川越から帰って、久しぶりに2枚のレコードをとりだして回しているうちに、気持ちはすっかりアメリカへと飛んでいるのでした。

じゃぁ また

(19:31)

2009年09月11日

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昨2008年は東京タワー誕生50周年でした。昭和33年生まれです。
東京タワーと同じ歳、50歳といえば日本経済と共に成長し、バブル経済とその崩壊も経験、そして今100年に一度の不況に追われて苦しい日々を送っている世代の姿が目に浮かびます。生き残りを模索する世代と言えるかも知れません。
 当の東京タワーの方も2011年7月にアナログ放送が終了し、地上デジタル放送の電波は墨田区に建設中の新東京タワーTokyo Sky Treeから送り出されることになります。東京タワーは間もなくテレビ放送の第一線から退こうとしています。
「50歳」「アナログからデジタル」「世代交代」・・なんだか暗く
いやいや上を向いて歩きましょう。
あの赤い鉄塔を見上げて来たように。

mono
東京タワー物語
2008年10月 日本出版社
著 者
町田 忍 泉 麻人 曾野綾子
開高 建 河本三郎 桐生五郎
佐藤江梨子 沢木耕太郎
金井美恵子 綱島理友 富田 均
中沢新一 原田宗典 松山 巌
姫野カオルコ 森 達也

16人の著者が東京タワーへの想いを綴ります。うち4人が東宝の怪獣映画「モスラ」に触れています。実は僕も東京タワーに繭を造ったモスラのことが強く印象に残っているのです・・世代だなぁ


東京タワーの映画と言えば、これは外せません
monogatari3
三丁目の夕日
2005年
ALWAYS
続・三丁目の夕日
2006年
山崎 貴 監督作品





こんなのもありましたが

monogatari2
東京タワー
江國香織
2001年マガジンハウス
東京タワー
リリー・フランキー
2005年 扶桑社

時流に乗るってヒットの条件でしょうが潮が引いた後の寂しさを感じるのは僕だけでしょうか?
ブックオフでリサイクル!かな。

じゃぁ また



(18:36)

2009年09月06日

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tokyotower

港区あたりを車で走るとき、ビルの谷間に見え隠れするタワーはいつも上半分ほど。
周りに高層ビルが増えた今となっては、全体像を捉えられる場所は限られています。
大展望台(低い方の展望台)はすでに展望台としての役割を終えているのかも知れません。

ただ東京タワーの本来の役割はあくまでも「電波塔」
(正式名称は日本電波塔
時々この事実を知らない人もいて驚くこともありますが、今もテレビ・ラジオ(FM)の電波を発信し続けているのです。

かつて「電波塔」としての東京タワーを強く意識していた時期がありました。
FM放送が貴重な音源だった頃、送られてくる音楽を少しでも良い音で聴き、残そうとしたエアチェックの時代です。(1980年代の半ばまでかと考えます)
良好な受信こそが高音質の条件で、幸い東京タワーから10km以内の強電界地区に住んでいましたが、それでも安アパートの室内にトンボ型と呼ばれた2素子のFM専用アンテナを立てていました。
耳をすますように、文字通り東京タワーに向けてアンテナを張り、音を拾い集めていたのです。

送られてきた音楽、その場で消えてしてしまうはずだった言葉の一部はテープに記録され今でも再生することが出来ます。
驚くのはテープに残せなかった言葉が不意に当時の音声のまま甦ってくる瞬間があるということです。
文字のなかった太古の「語り部」の仕事を想わせます。ときには文字よりも心に残る声があるということでしょうか。
今でもあの赤いタワーを見上げると、電波に乗って飛んでゆく音や言葉を感じます。

揚げていたトンボのアンテナを外して20年。
溢れる情報に眼も耳も感度低下や混信などをおこしがちなこの頃です。
もう一度心のアンテナを張り直す時かもしれません。
港区あたりを走りながらそんなことを思うこの頃です。

じゃぁ また




(16:31)

2009年08月31日

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TT-3


故郷で過ごした年の二倍の日々を
ここ東京で生きたことになる
今はもう故郷は「行く」ところで、東京が「帰る」ところだ
新幹線や飛行機や高速道路で帰るとき
赤く灯を点した東京タワーが迎えてくれる
送り出される電磁波に同調するのか胸のあたりが熱を持つ
今日のこと、会った人、待つ者のことが心を過ぎる
故郷を出るとき揚げた小さな旗も今は傷んで色褪せた
似たような降ろされない幾百万の旗が
赤いタワーのてっぺんに翻っている
そんなことをふと思う



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
じゃぁ また


(20:30)

2009年04月06日

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昨年もこの時期、Jリーグ開幕に向けてはやる気持ちを抑えながら
「シーズンチケット」のこと、サッカー映画のことなど書き込んでます(過去Log:2008年3月6日Ready for Football覗いてみて下さい)
そして今年もまた熱い34試合が始まりました。
urawa1
浦和Redsホームスタジアム
さいたまスタジアム2002
開幕したものの第1~2節は仕事のためスタジアムへ行けなくて4日のホームゲーム(vs大分)からの参戦となりました(サポーターは観戦ではなく参戦するもの)

ticket2009年シーズンチケット
今期からICカード化されたチケットも選択可能ですが僕は紙チケのまま。
通年指定席制(さいたまスタジアム開催分)で1シーズンをとおして自分の席が確保されています。99年から毎年更新を続け11年目に入ります


初めてシーズンチケットを入手したその年、1999年
低迷するチームはとうとうJ2へ降格という憂き目をみることに・・・
1999年11月27日浦和市〔当時)駒場スタジアムJ1最終節。90分で勝てば残留決定の試合を勝ちきれず降格決定のまま延長戦へ突入。福田選手の決めたゴールは「最も悲しいVゴール」と呼ばれました。
12月間近の冷え切った空気と静まりかえったスタジアム、Redsサポーターはあの夜まさに凍りついたのでした。
urawa1999 降格が決定した年の年賀状(2000年)
ーRe-Startー
 Not revenge,but a charenge,
to show our "Right Stuff"

この年、プロ野球では西武の新人、松坂大輔がロッテ黒木に投げ負け、リベンジを宣言。
この松坂の「リベンジ」が流行語年間大賞に選ばれました(他に雑草魂とか)
これを借用し僕の会社名と組み合わせて「リベンジ(復讐)じゃない、チャレンジ(挑戦)だ!才能の証明だ!」・これを英文(not~butの構文!)にしたものです。背番号9はミスターレッズ福田正博選手のもの。

プロとも思えないベタな絵柄とデザインにあらためて凍りつきます・・
降格決定直後でかなり動揺していたようですね。

ミレニアムとか世紀末とか言ってた2000年、年末から年始にかけてはコンピューターの誤作動(2000年)問題で大騒ぎしたものです。
この年をJ2で戦ったRedsは、またしても最終節2000年11月19日
延長戦までもつれ、土橋選手の劇的なスーパーVゴールでJ1へ復帰したのでした。
「人生楽ありゃ、苦もあるさ。涙の後には虹も出る!」です、です。

その後は次々とタイトルを獲得しながらも、昨シーズンは無冠。
いつもジェットコースターに乗せられ振り回されるかのようです。

あの降格から10年、果たして2009年シーズンは新監督のもとで
リスタートとなりました。
10年ひと昔、また新しい月日が積み重なって行きます。
周りは皆、Redsが世界No.1クラブに成る日を、たとえ何十年かかろうと本気で待ってるサポーターばかりです。
感動を少々お分けいたしますので、あなたも
いっぺんスタジアムへいらっしゃ〜い!

じゃぁ また





(17:07)

2009年03月20日

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 広告、出版の分野でもデジタル撮影がすっかり定着しました。
僕自身デジタル化のなかでの右往左往ぶりを時折、綴ってきましたが、デジタル化が最も急速に進んだのは報道写真の世界。
報道の即時性を考えれば当然で、本格化してから10年が経つそうです。システムが急速に変化して行くとき、そこに携わる人間にも急速な適応が求められます。 
 18日付SK新聞に同紙写真部長氏のコラムが載っていました。
from Editor
「便利な時代こそ貪欲に挑む」
sato










デジタルの便利さに流されることなく、貪欲に表現を追求してゆくプロ意識を持てと・・・
さすがに歴戦のプロの言葉には重みがあります。

実はこの氏とは旧知の間柄。
僕が駆け出しのカメラマンだった頃、大学の卒業アルバム制作の仕事で学生側のスタッフだった氏と出会いました。
僕はまだプロ意識など欠けらも持ちあわせず、彼もまだ1〜2年生、失礼ながら将来新聞社の写真部長にまで出世するような気配は、正直、感じられなかったものです(S君ごめん〜以後君とします)
その後、僕は広告カメラマンのアシスタントに転じ、君との付き合いは一度途絶えてしまいました。
卒業後、君は今の新聞社に入社、写真部に配属され報道カメラマンとして厳しいプロの世界で鍛え上げられ、多くの経験と実績を積んで今の地位に達したわけです。アナログ時代にカメラマンとしての基礎を確立し、今、統括責任者としてデジタル世代の指導に当たる君の決意が先のコラムとなったのでしょう。
さすが部長!僕にもお言葉しっかり届きましたよ。

さて、デジタルカメラが出張れば引っ込むのはアナログ(フィルム)カメラ。共に戦ってきた戦友のような奴です
F-3-3
いまでは全く出番の無くなった
NIKON F-3とモータードライブMD-4

四半世紀を共にして、持ち主と同じでメッキはすっかり剥げ落ちましたが、フィルムを詰めれば今すぐにでも働きます。
この立ち姿に歴戦の荒武者が醸し出す風格、威厳のようなものを感じてしまうのですが・・・
さてデジタル世代にはどう映っているのだろうか。


「時は流れない、それは積み重なる」
  〜サントリー クレスト12年(コピー:秋山 晶)

最近、あることがきっかけで、君はじめ当時学生だったメンバーと再会し、久しぶりに酒を飲む機会を得ました。もともと優秀な学生だった彼らはそれぞれの四半世紀を戦い抜いて皆、一角の人物になって良いサムライ顔になっていました。多少メッキが剥げようが「旧式」扱いされようが僕は自分のNIKON F-3を抱くように奴らの荒武者のような肩を、一人ひとり抱きしめてやりたくなる。

じゃぁ また



(13:12)

2009年01月04日

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新しい年が始まりました。
今年も、写真を撮影しては、そのお代を頂戴し、あちらこちらと支払いを済ませた後、幾ばくかの小銭が手の平に残ったら、本やレコードなど買ってささやかに生きて行く所存です。
 お仕事を発注して頂く皆様の慈愛の心によって生かされている写真師風情にございます・・本年もよろしくお願いいたします。
 さて、本日4日からNHK大河ドラマ「天地人」がスタートです。
・・「兜の前立(まえだて)に愛の一文字を掲げ、戦国の世を駆け抜けた上杉家の知謀・直江兼続。」・・の物語。「失われつつある日本人の義と愛を描き出す」・とNHKは張り切ってますね。主演はガスパッチョ妻夫木 聡。原作まだ読んでませんでした。昨年の「篤 姫」(天璋院篤姫)と同じく読みながら観て、観ながら読むということになってます。
tentijin
・ 天 地 人 ・ 上下巻
火坂 雅志 著  NHK出版
 昨今はブックオフやAmazonの中古利用が多いのですが、年の初めの目出度さに乗じて、新刊買って来ました(とりあえず上巻のみ)
作年10月刊で第17刷、25万部突破だそうです。観光誘致的には新潟、福島、山形・・・
今年は丑年、米沢牛もありですね。・・・JR東日本関係の方、カメラマンお探しではないですか?


 「直江兼続」に関しては、以前こんな本読んだことがあってちょっとだけ知ってました。
kitano
・北の王国上下巻
童門 冬二 著  学陽書房

「上杉謙信に育てられ、主君景勝を補佐して乱世を生き抜き、後の上杉鷹山に引き継がれる領国経営のもとをつくった、戦国随一の知謀と信念の男直江兼続の生涯を描く」(帯のコピーより)・・ほぼ「天地人」と同じストーリーを作者の視点の違いからもう一度楽しみましょうか。


かつて、家祖上杉謙信と、米沢藩財政改革で有名な上杉鷹山を祀った上杉神社(米沢市)で、確かに「愛」の一文字を前立にした兜(レプリカだったかも)を見たことがあります。 
時代劇には常に今の世相を映し出す鏡の役割があるとか、愛のないニュースばかりが続く今日この頃、2009年は愛がテーマなのですね。
 
 ではいつものようにレコード棚から「愛」をテーマに一枚を抜き出すとしたら・・まぁ、これしかないでしょうね。
jc「至上の愛」A Love Supreme
  〜ジョン・コルトレーン
1964年 impulse
コルトレーンの代表的名作とされる一枚。宗教的高みにまで達してしまった天才の遺産。
演奏もPart 1 承認 Part 2 決意
   Part 3追求  Part 4 賛美
・・となっていてなんだかドラマチックな構成となってます。 

常日ごろ、訳知り顔のモダンジャズ・ファン、なかでも眉間に縦皺よせてコルトレーン鳴らしてるジャズ男のことを、さんざんこき下ろしている僕ですが、一応こんなモノも持ってはいるのですよ。
それにしても、久々に(日本の)ライナーノーツ読んでみたけど、分かり難い文章に頭痛がしてきます。肩が凝って困ります・・凝り取れん・・なんつってね。まぁ、音だけ聴いてれば良いのですが、新しいファンに対して間口を狭めるようなジャズライターさん、足りないのだよ。
足りないのは、何である?愛である!(ワカンネェダローナ、Yeh~)

じゃぁ また

(18:50)

2008年11月10日

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 松山駅前から路面電車でおよそ20分、縄文〜神話の時代からの歴史を持つ、日本三古湯のひとつ「道後温泉」へ。あの聖徳太子はじめ歴代の天皇も来湯したそうです。その中心に建つのが「道後温泉本館」という木造三階建ての共同浴場。
そうでした!この佇まい宮崎駿作品「千と千尋の神隠し」に登場する浴場のモデルになったものです。
matuyama4 ・道後温泉本館・
1894(明治27)年完成
別名「坊っちゃんの湯」
重要文化財



二階は浴衣、茶菓子がついて広間で休憩出来るのですが、時間も無いので一階の「神の湯」へ。こちらは普通の銭湯と同じで料金400円を払って「旅烏の行水」できました。

もう一度戻って城下町松山を歩くうちに・・
matuyama2なんだかもう何度もここへ来たことがあるような・・いやこれは「デ・ジャ・ヴ〜既視感」などではなくて、ここは我が郷里「熊本」にそっくりじゃぁありませんか!
県庁所在の中核市どうし。
お城を見上げる城下町を路面電車が走る景色や繁華街「大街道」と熊本「下通り商店街」のアーケード街の雰囲気もよく似ています。
遡ってそれぞれの初代城主、加藤嘉明(松山)、加藤清正(熊本)はともに羽柴秀吉子飼いの武将で、柴田勝家との「賤ヶ岳の戦い」で名を挙げた「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられた武将です。
 さらに数代を経た後、江戸期を通して徳川親藩の大名、松平氏(伊予松山)と名門細川氏(肥後熊本)が治め明治維新を迎えたところ。さらにその維新に於いては佐幕=賊軍(松山)、議論倒れで完全に乗り遅れ(熊本)と冴えないところもよく似てますね。
明治期はともに夏目漱石ゆかりの地、さらに平成の現在、両市はサッカーJリーグ(J2)にチームを持つもののJ1昇格へはほど遠いところまで、何処までもそっくりさん。
姉妹都市、いや双生児都市にでもなりますか。
からし蓮根もジャコ天も、行けてる酒肴なんですけど、知名度がイマイチなところも・・・
坂の上ヘ、
でもう少し行ってみましょうか

じゃぁ また








(22:37)

2008年10月25日

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sinkansen






 おかげさまで忙しくさせて頂いてます。
先週は東京駅発の新幹線に5回も乗ってしまいました。
東海道4、長野1 
マイルがたまって無料乗車券ゲットです・・・
・・と言いたいところですが

JRさん、マイルポイント導入してみたらいかがです?
出張族のお父さんたちがたまったマイルで家族旅行!
関連施設の利用も増えて良いことあるのでは?

 車内アナウンス
「お使いになった座席のリクライニングを元の位置にお戻しください』

・・・・都合の良いところばかり飛行機のまねしないでね!

じゃぁ また

(09:41)

2008年09月04日

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旅するシャッターマンは今日も往く。
滋賀県大津市で仕事でした。大津は琵琶湖畔の街。滋賀県の県庁所在地です(つい忘れてしまうのですが・・)
帰り道(早っ!)、京都でちょっと時間が、それも中途半端に空きました。
仕方なしに京都駅前をふらっとすることに。
kyoto1
京都タワー
高さ131m
1964年12月開業
烏丸中央口を出るとまず正面に建つこの展望塔が目に入る。古都京都を訪れた客を出迎えるように建っています。初めて見たときも今もその印象はほとんど変わらず、違和感だけが残ります。灯台をイメージしたものだそうですが、どう見てもローソク、実際「東(本願寺〕のローソク」と云われているそうです。まぁ千年たてば馴染むのでしょう。

このタワー、以前は新幹線のホームからもよく見えたのですが、今は駅ビルが視界を遮ってます。
京都駅ビル :竣工1997年
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計画当初から、賛否両論、いやほとんどが否定的なもので、大もめに揉めたいわくつきの物件です。
久しぶりに眺めてみると、おぉ!まだ10年しか経ってないのに、はや時代遅れの雑居ビルの風情が漂っているではありませんか・・
さらに眺めているとkyoto4
手塚治虫ワールドの案内が・・・
「これはちょうど良いものが・・」と行ってみました。
・・原宿のタレントショップ(まだ有るのかそんなモン)並みのお土産やさんでした。疲れました。
なにか手みやげでもと、歩いていると
yojiyaあぶらとり紙〜よーじや製
10年ほど前までは、京都帰りの小洒落たお土産として、女性に受けたものです。よーじや本店でしか入手できず、そこにまた俗物根性をくすぐられたりしたものです。今じゃ駅ビル他10ヶ所以上で売ってます。
なんとも気の滅入るような駅前散歩。さらに残暑厳しく、あぶらとり紙で鼻の頭を撫でなでしてなどいられません。やっぱりこれです
gatsubyボディーペーパー・アイスタイブ
メントール配合でクールです。外聞も憚らずゴシゴシとオヤジのおしぼりやってます。
熱帯化した日本の夏の必需品でしょう。オススメです!
・・少々疲れた京都駅周辺でした。

じゃぁ また




(22:11)

2008年06月26日

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 先週、仕事で神戸近郊へ出かけました。2日目、撮影開始が午後3時ということだったので、待ち時間を有効に使おうと有馬温泉まで足を伸ばしました。日本三古泉に数えられる有名温泉場なのに、実は地理的な位置もよく分かっていなかったのです。取材先の建築家さんの案内でライター氏ともども男三人旅となりました。なるほど神戸、大阪からのアクセスの良さは抜群です。まずは一風呂浴びた後、向かったのがこのお寺。
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・念 仏 寺・
 神戸市北区有馬町1641
1539年創建の浄土宗の寺。太閤秀吉の正室、ねねの別邸跡とも伝えられています。
この寺の庭が「沙羅樹園」とよばれるのは樹齢250年の沙羅双樹があるから。時まさにみなづき六月、深い苔の緑に、朝に咲いて夕に散るという沙羅の花が散りばめられていました。
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」・・平家物語だったかな


庭にレンズを向けていると、苔の上にパサリと花が落ちてきました。
芭蕉の「古池や蛙飛び込む・・・」にも似た静寂と無常を感じました・・と気取ってみたいところですが、すぐ後ろの和室ではこの場を借りて建築家さんへの取材(インタビュー)が進行中であり、撮影も控えていてなんだか落ち着かない拝観となってしまいました。まぁ、また今度!

kginnoyu・金の湯、銀の湯・
日帰り入湯には低料金で市営の共同浴場が利用できます
写真は銀の湯 入浴料¥550−
仕事前のため湯上がりには
有馬サイダー「てっぽう水」を・・

慌ただしくもちょっと癒された温泉ツアー3時間コースでした。

 そうそう、建築家様に古民家を改築した蕎麦屋で手打ちの蕎麦をご馳走になりました・・でも割り勘の方が良かったのでは?
だって「おごる平家は久しからず」っていいますよ。

じゃぁ また

(19:51)

2008年06月22日

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サッカーを戦術から理解する
杉山茂樹 著
光文社新書 2008年3月

タイトルは、サッカーの試合における布陣(システム)のひとつから。
サッカーの代表的な布陣を戦術的な観点から分かりやすく解説
世界的には弱者である日本が強豪国を倒すには・・・
そんな本でした。



 大阪へ向かう新幹線で読もうと、手に取った新書サイズの本。
筆者は3バック、4バックといったサッカーの布陣、陣形について過去の実戦を例に引きながら「サッカーは布陣でするものである」ということを検証してゆきます。
選手個々の能力もさることながら戦いを制すには戦術、布陣こそが重要であり、それは戦うための理念、哲学を持った監督の能力に負うところが大きいと結論づけています。素人の僕にも分かりやすく、今後サッカー観戦のポイントが変わってきそうです。まさに監督目線のファンへ贈る「布陣の教科書」という帯のコピーどおりでした。

折しも、戦術的サッカーの本場欧州では今まさにUEFA欧州選手権2008(ユーロ2008)の決勝トーナメントが進行中です。
本未明(5/22 am3:30~)文中でも再三取り上げられている名匠フース・ヒディング率いるロシアが強豪オランダを下しベスト4進出を決めました。

2002年、日韓共同開催のワールドカップでヒディング率いる韓国の躍進(4位)を横目で見ながら、さらに2006年ドイツ大会では同じヒディング率いるオーストラリアに煮え湯を飲まされ、今またユーロでのロシアの台頭を見せつけられても、この国では監督、指導者の戦術家としての哲学、理念を問う声は少ないのではないでしょうか。ヒディングマジックという決まり文句で流してしまっていますが、そこには学ぼうという姿勢は見えてきません。

あとがきは、「日本のサッカーが良い方向に進んでいるとは思えない。これ以上、遅れるわけにはいかないのだが・・・」と結ばれています。 ・・確かに!手を打たなくては。さて僕に出来ることといえば、
サッカーに付いての酒場談義の質も、その国のサッカーのレベルを表していると云います。
今宵は布陣論をネタに酒場へ繰り出しましょうか!
婦人論じゃないよ。

じゃぁ また




(19:36)

2008年04月15日

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 NHK大河ドラマ「篤姫」が高視聴率をキープしたままあっという間に1クールを終了。この先、物語は江戸城大奥へと舞台を移します。「篤姫」の時代は幕末〜明治維新という激動の時代。その幕開けとなる大きな事件が黒船来航。嘉永6年(1853年)たった4隻で太平の眠りを覚まさせた外圧の象徴、ペリー艦隊が来航したのが横須賀浦賀沖でした。
そこで「そうだ!浦賀へ行こう」・・と歴史散策に出かけました・・と云いたいところですが、実はうまい具合に横須賀で撮影があって便乗です。例によって手早く仕事を片づけて、向かったのが久里浜海岸。
ペリー公園
「ペリー公園」(横須賀市久里浜7-14)アメリカ大統領の親書を手渡すためにペリー一行が最初に上陸したのがここ久里浜。上陸記念の碑が建っています
碑文は伊藤博文の筆で
「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」(後ろの建物はペリー記念館)ジオラマ
記念館(無料)には黒船来航時を再現したジオラマほかペリーに関する資料が多過ぎず学究的に成り過ぎず程良く展示されていました。静かで感じの良い公園です。


黒船来航は幕末を背景としたドラマ、小説が避けて通れない時代の象徴ですが、ペリー自身に焦点を当てたものも勿論あります。kaikoku

ペリー来航・日本開国への途・
上下巻
植木静山 著 文芸社2003年
ペリー来航150年の年に出版された。主人公はアメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ガルブレイス・ペリー自身、対応した日本側の役人達の視点も盛り込み、日米両国が舞台の歴史小説。黒船は琉球を経由して西からやって来たのです。幕末史のおさらいには教科書よりも物語で。


ensei
・ペリー提督日本遠征日記・
マシュー・C・ペリー 著
木原悦子 訳
童門冬二 解説
小学館(1996年)
1952年11月ヴァージニア州ノーフォーク港を出港してから1954年条約を締結して日本を離れるまでペリー自身が残した私的な航海日記。「砲艦外交」いわゆる恫喝による開国要求とされてきた黒船来航を米国人の視点で再確認。公私にわたる通信からペリーの人間的側面も見えてきます。


33ついでに、この辺りまで目を通しておけば「黒船」とは何だったのかが多少なりとも見えてきてリア・ディゾンを「グラビア界の黒船」な〜んて軽々しく云えなくなってしまいます。
篤姫見て久里浜行って150年前を想ってみました。ヒマ人?・・

じゃぁ また

(21:36)

2008年03月06日

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明後日(3/8)いよいよサッカー国内リーグ(Jリーグ)2008シーズンの開幕です。ホームとアウェイ合わせて34試合、途中カップ戦をはさんだ熱い戦いが始まろうとしています。先日チーム激励会で首位奪回を狙う選手、監督、コーチ、スタッフに会ってきました。サポーターともども準備OKです。
チケット
・シーズンチケット・
リーグ戦ホーム17試合分とナビスコカップ予選リーグがセットになっている年間指定席。毎年これが届くと開幕も間近、気持ちが高揚してきます。サポーターであること、チケットホルダーであることに誇りを持っていざスタジアムへ!

 さらに気持ちを完全サッカーモードに切り替えるべく、フットボールムービーで盛り上げます。
シーズンチケットシーズンチケット(PURELY BELTER)
2000年/イギリス

プレミアリーグ、ニューカッスルの熱狂的サポーターで落ちこぼれの少年二人がひたすら求めたのはシーズンチケット
労働者階級、不況、失業、不登校、友情、父親と息子、アラン・シアラー、UKミュージックも詰め込んだイギリス映画です。社会風刺も入った「ブラス!」のマーク・ハーマン監督作品。
マイケル・ナイマンの曲(Molly)が流れ、少年二人が語るサッカー観戦の思い出「父さんのコート」・・・泣けますね。サッカーの祖国、サッカーが文化として根付いている国の物語。そしてサポーターならずとも感動のエンディング。僕も鑑賞回数の記録更新中の作品です。どうぞ!

 DVDのパッケージには日本の配給会社がつけたコピーで「涙が出そうになった時、ぼくらはスタジアムの風を想う。」とある。
映画とサポーターの想いをうまく表しています。
週末をスタジアムで過ごすようになって10年、良いことばかりが有る訳じゃない日々の暮らしの中で、僕はたしかに「スタジアムの風を想う」瞬間がある。

じゃぁ また

(19:30)

2008年02月29日

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灯点し頃の鴨川〜先斗町界隈(四条大橋より)DSC_0023










 先日久しぶりに仕事で京都へ。スタッフとは翌日合流のため一人夕暮れの街へとくり出しました。向かったのは四条河原町あたり。
もう十数年前のことですが、京都の観光名所の四季折々を撮影するという仕事があり、年間4〜50日滞在していました。寺社仏閣、庭園ほかガイドブックに載っているようなところは隈無く撮影して廻りました。
定宿を四条河原町付近にとっていたため、この界隈にすっかり馴染んでしまったのです。
DSC_0030・先斗町(ぽんとちょう)へ・
四条大橋を渡ると祇園ということですが、あの界隈の料理屋、お茶屋さんの敷居は走り高跳びのバーより高いので撮影以外で足を踏み入れることはありません。
僕が好きなのは石畳の細い路、花街の雰囲気を濃厚に残しつつも庶民的な先斗町。夏場なら鴨川河川敷へせり出した納涼床(川床)で涼みながらのビールでしょうが、真冬の今回はおでんの美味しいお店で熱燗とっくりとキメました。最後は馴染みのJAZZ BARへ・・



DSC_0033・JAZZ IN ろくでなし・
京都に来たら必ず立ち寄るのが、このちょっと自虐的ネーミングの BAR。
先斗町からほど近い木屋町通り、京都風に云えば「四条木屋町下がる」・・かな?
周りには怪しげな店もあって、観光の「いちげんさん」はまず入って来ない店。かつて長期滞在の折、JAZZの看板に引かれてドアを押してみたのです。
JAZZ BARなので薄暗いのは当然ですが狭くてアンダーグラウンドな空間
(店は2F)にひしめく地元の酔客。



JAZZと云いながらロック、ブルースから浅川マキ、美空ひばりまで何でもありの選曲にすっかり参ってしまいました(美空ひばりのJAZZは絶品ですが・・)
あれから十数年、ここは何も変わっていません。変わらないことの価値を実感できる場所です。変わっていない自分自身にはちょっと焦ってみたりもするのですが・・・・バーボンソーダ数杯でどうでもよくなってしまいますネ・・
そうか「ろくでなし」って客のことだったのか。納得!
じゃぁ また


(16:25)