城を歩く

2014年07月23日

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鉢形城 : 埼玉県大里郡寄居町鉢形2496

今回は荒川の上流、埼玉県寄居町へ行ってきました。
小田原北条氏の北関東支配の拠点として、三代北条氏康の四男氏邦
入城し整備拡張した鉢形城への登城です。
発掘された土塁や住居跡からなる広大な城跡公園ですが
開発の波に晒されることもなく、良く保存されていると思いました。

石積土塁
内側を荒川の川原石で階段状に固めた土塁が発掘されています。
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荒川と支流の深沢川が削った断崖上にある天然の要害でした。
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1590年、豊臣秀吉による小田原攻めで鉢形城は前田利家父子、上杉景勝、真田昌幸ら五万の大群に包囲された。
八王子城の北条氏照と同じ主戦派の氏邦は城兵僅か三千五百で一ヶ月の籠城戦の後ついに開城しました。
この辺りの話がないかと探したところ
井伏鱒二の「武州鉢形城」という作品がありました。
全集以外の単行本は絶版でしたが、ネットで古本を入手出来ました。
昭和38年初版(もう50年前の本です!)は思いの外綺麗でした。
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武州鉢形城 〜井伏鱒二
新潮社 昭和38年発行
作家の私(主人公)が机を造るため、寺の住職から入手した赤松の角材に、矢尻と鉄砲玉が食い込んでいた。角材は深谷市の弘光寺の庫裏の屋根裏に保存されていた物で、調べると鉢形城の曲輪に立っていた一本松だったという。鉄砲玉は天正18 年
(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにおける鉢形攻防戦の物らしい。
ここから私と住職、郷里の退役軍人とのあいだで書簡の往復による古史料の読み解きが始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

行楽気分の城歩きでは、城跡に備え付けのパンフレット類を一読して概略だけなぞることが多くなります。
城の攻防戦についても、城主や主だった武将名を確かめて、結果を見てお終い、になりがちですよね。
今回、なかなか凝った構成の「武州鉢形城」を読む機会を得て、実際の戦というもは、参戦した城兵によって成されたものであり、かつ個々の城兵浪人一人ひとりにそれぞれの人生があったのだという思いを、今更ながら深くしました(あれ、それって戦争物の王道ですかね?)
古史料の読み解きから鉢形城攻防戦の詳細と、時に推理も交えて人間への思いを描いた名作だと思います。
それからやはり、この手の本は訪問前に一読しておくのが基本ですね。
現地での見方が全く違っていたかと思われます、反省しきり、です。
関東北条の城まだあるけど、ちょっと飽きたので次は凄いの出そっかな!ご期待下さい。

じゃぁ また




(17:06)

2014年07月17日

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本丸御殿
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川越城 : 埼玉県川越市郭町2ー13ー1

1457年扇谷上杉氏の本拠として、太田道真、太田道灌父子により築城。
ここでの司馬作品も前回の小田原城とおなじ「箱根の坂」です。
早速引用しますと
〜(上杉)定正が拠る川越城はぬきんでて規模が大きかった。
かつて太田道真・道灌父子が江戸城とともに築城したもので、多くの
土塁と濠が複雑に組み合わせられ、平場の城である弱点がみごとに解決されていた(中略)〜これらの設計(なわばり)のみごとさを見るにつけ、亡き道灌という人物の尋常ならなさがわかった。

〜以上は北条早雲がみた川越城の印象として描かれた箇所です。

その後上杉時代から後北条時代には北条氏康の奇襲「川越夜戦」の舞台に、江戸期は徳川譜代の城下町として川越は繁栄しましたが、現在は江戸後期に建てられた本丸御殿の一部と富士見櫓跡などわずかな遺構を残すのみです。
明治維新後はすっかり様変わりしてしまい、戦国史的にはやや寂しさも感じてしまいます。
富士見櫓跡
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実は5年前に一度ここ川越城へ来たのですが、当時は本丸御殿の保存改修工事中だったのです(2011年竣工)
その時の記事→「城を歩けなかった、川越城」・・相変わらずで凹みますね(NHK朝ドラつばさの頃の話です!)

江戸城を造った太田道灌についてもその頃読んでました。
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小説 太田道灌
〜江戸を都にした男
大栗丹後(栄光出版社)
2002年
江戸城の築城また例の山吹伝説でその名前だけ知っていた
太田道灌について、初めて詳しくその生涯を知ることが出来ました・・と云ってみたものの結構忘れてしまった所が多くて、愕然!
作者の大栗丹後(1928~)はテレビプロデューサーから歴史作家となった人です。
「赤胴鈴之助」の作詞者とあったので調べてみると作詞者名:藤島信人となっていてご本人だと思います。


ずっと気に掛かっていた川越城をやっとアップできました。
江戸の面影を濃く残す川越は、蔵のある町並みを中心にした町興しが大成功で、私もその後、仕事でプライベートで何度か足を運んでます。
もしまだでしたら、ぜひ一度おいでください。

次も関東の城・・かな?

じゃぁ また













(21:41)

2014年07月15日

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小田原城 : 神奈川県小田原市城内6-1

小田原北条氏の居城「小田原城」への登城です。
三代目の北条氏康の頃には難攻不落の城といわれ、武田信玄や上杉謙信でもついに落とせなかった関東第一の堅城でした。
現在の天守閣は北条滅亡後の江戸期の姿を、宝永の再建時の模型や図面を基に復元したものだそうです。
それでも小田原と云えば北条氏、戦国時代の幕を開けた初代北条早雲から五代百年の歴史舞台となった戦国の名城を想いながらの登城でした。
地元では初代早雲が一番人気らしく、小田原駅には像が建ってました。

北条早雲像
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新幹線口なのであまり目立ってないですけど。
牛を連れているのは大森氏の小田原城に夜襲を掛けたとき、角に松明を括り付けた牛の群れ率いて大群に見せかけた奇襲戦法の逸話に基づくものです。

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「〜城を歩く」での司馬作品は
「箱根の坂」
後北条家の祖で戦国の世の幕を開けた伊勢新九郎、後の北条早雲の数奇な人生を描いた長編。
不明な点の多い新九浪の前半生については作家によって設定が微妙に違ってます。通説では一介の素浪人から戦国大名にのしあがった下克上の典型的人物ということになりますが、「箱根の坂」では備中伊勢氏の末裔の鞍造り職人で足利義視に仕えると云う設定。小説と史実は違っても当然ですから。さらっと!


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歴史群像シリーズNo.14
真説戦国「北条五代」
後北条政権は、早雲に始まり
氏綱、氏康、氏政を経て
五代目の氏直までの百年。
1493年早雲の伊豆侵入で戦国時代の幕を開け、1590年秀吉の小田原攻めにより小田原開城と滅亡、まさに時代を象徴する戦国大名家と云えます。
このシリーズらしく、各当主ごとの足跡と戦歴、治世ほか実に事細かに紹介されていて、
この一冊で北条通になれます。


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銅 門(あかがねもん)1997年復元

関東に住んでいると、あちこちに遺ってる城跡の多くが小田原北条家の支城とか縁の城ということを知らされるのです。小田原あたりは何度も行っているのに、小田原本城への登城は今回が初めてでした。
やっと本家本元の地に立てて、ちょっと安心しました。
次はその小田原北条系の城を歩いてみます。

じゃぁ また

(17:48)

2014年05月20日

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「八王子」をご存じでしょうか?
東京都八王子市へは仕事でもう何度も行ったのに、仕事以外で行ったことはありませんでした。
勝手な印象としては東京の西の方のだだっ広いところ!…かな。
城があったことも最近知りました、八王子市民の皆様誠にすみません。
行ってきましたよ、しかも雨です!
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八王子城(推定復元の曳橋と御主殿石垣)
東京都八王子市元八王子3
後北条氏の居城小田原城の支城として北条氏照築城。
氏照は北条氏康(3代)の三男。
1587頃にほぼ完成し本拠となったようです。
深沢山の地形を活用した典型的な山城。

しかし1590年天下統一目前の豊臣秀吉の小田原征伐で、氏照は小田原の本城に詰めて不在、残った僅かの将兵と婦女子・領民3,000人が籠城したが、1万5千人の豊臣方に攻められ落城。
城方3000名は全滅、寄手にも1260名の死者という戦国史の最後を飾る凄まじい攻防戦となりました。
その後関東に入った徳川家康は八王子を直轄領とし、深沢山八王子城は廃城に、さらに「忌み山」として入山禁止としました。
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(氏照の居館があった御主殿跡)

八王子城の築城主「北条氏照」も読んでみました。
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まず小田原北条氏は、家祖の北条早雲のあと歴代頭首は氏綱・氏康・氏政・氏直で兄弟もほぼ通字の「氏」が付いていて、これをウジウジ憶えるのもけっこう大変ですね。
八王子城も氏照も今回初めて知ったわけです。北条、武田、上杉の関東での覇権争いの歴史。
常に主戦派だった戦国武者氏照の生涯、さらに小田原開城と北条氏五代百年の終焉の話ですが、やはり八王子決戦がいかに凄惨な戦いだったかというところに尽きますね。

で、当日は平日の午後、しかも雨天のこととて、訪問者は広大で山深い城跡に僕一人。
廃寺や野ざらしの石仏なども多数あって、子連れ狼の拝一刀が忍者と斬り合うロケーションでもやってそうなところなんですよ。
正直気味の悪い感じはありました。

後日ネット情報で知ったのですがここ八王子城跡はいわゆる心霊スポット、肝試し的な恐ろし気な地域という書き込みが多数上がっておりました。ま、歴史的激戦地だしね。
僕も先に見ていたらもう少し寒くなる感じがあったかもしれませんね。
ただ個人的にその手の話は信用してないし、興味本位で騒ぎ散らす人達も好きになれません。
人間が脈々と築いて来た歴史への冒涜だと思いますよ、と切り捨て。
八王子市にはもう少し広報と城跡の整備を頑張って頂きたいところです。
Hachioji3

北条の支城は関東に沢山あって、先のNo.23忍 城もそのひとつです。
あ、本城の小田原城はまだか?・・という声も聞こえそうですので
次回は小田原本城へ登城の巻・とします

じゃぁまた

(17:36)

2014年05月09日

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月山富田城 : 島根県安来市広瀬町富田

まず読みですが「がっさんとだじょう」です。
松江城への登城の後、一瞬迷いましたが(松江から20数キロあり)
今思えば行って良かったです。
ただ戦国期の典型的な山城でちょっとした登山でした。
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(細い山道を登ってやっと二の丸跡、本丸まであと一息)

富田城は歴代出雲守護職の居城で戦国期は尼子氏が中国地方十一州の太守として勢力を誇りました。尼子経久〜晴久の時代です。
この富田城を奪われたり奪い返したり、同じ中国に勢力を伸ばす毛利元就との戦いなど歴史的ドラマに満ちた戦国の名城だったのですよ!
と、そういうことは帰ってから後追いで読んだ本で知った次第です。
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尼子関係の書籍はいろいろありましたが、さし当たり読みやすそうだったのでこれを。
尼子経久 / 中村整史朗
〜毛利が挑んだ中国の雄

筆者が強調しているのは
〜尼子経久は北条早雲より5年以上も前に、幕府によって追放された富田城を奇襲して奪回、出雲国の切り取りを始めている、よって戦国の風雲を巻き起こしたのは早雲ではなく、この経久であった・・と、はい一応窺っておきます。



結局最後は毛利によって滅亡させられてしまう尼子氏。
もし尼子経久があと50年遅く世に登場していたなら・・・
と歴史の「もしも」を筆者とともに思うわけですね。
(本丸跡からの眺望)
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出雲全体に桜が多く、満開の時期に行けたことで松江やこの富田城の印象も強く残りました。
ほとんど詳しいことは知らなかった尼子のこともちょっと分かったしね。でもマイナー感は否めないなぁ、「あまこ」って読んでましたから、
「あまご」が正解です。

じゃぁ また

(20:44)

2014年05月06日

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4月、桜満開の松江城に登城しました。
江戸時代初期1611年、堀尾氏24万石の居城として築城。
堀尾・京極・松平と続いて明治を迎えた後も保存され
現存12天守のひとつ重要文化財です。
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松江城天守(現存) : 島根県松江市殿町1-5

登城前には勝手に小さめの天守を想像していたのですが、大変失礼しました、天守台を入れて高さ30mもある4層5階の立派なもので、床面積では姫路城に次いで現存天守中2番目の大きさでした。
内部の展示物も文書、甲冑など本物が並び充実していました。特に1〜2階の展示室の広さ・高さから改めて天守全体の大きさを再確認させられた次第です。素晴らしい木造天守でした。

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恒例の現存天守最上階からの眺望です。宍道湖北側の湖畔に建っていて
日本三大水城のひとつだそうです。
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山陰地方へは仕事で来る機会も少なく、松江も今回が初めてでしたが、
宍道湖や城下町松江の落ち着いた雰囲気がとても気に入りました。
ま、いろんな意味でちょっと地味ではあるのですが、
それも大いに良しといたします。

では、いつものように松江城にまつわるサイドストーリーを一編
・・と思ったのですが、江戸時代に入ってからの築城、要するに平和期に建てられた城だけにいまひとつドラマ性に欠けるわけですね。
ネットで調べて出てくるのがNHK朝ドラ「だんだん」(2008年)のロケ地が松江市で、松江城もたびたび登場していたらしい、と地味!
朝ドラは時計代わりに横目でチラッと眺めるだけ(基本見ない・例外あまちゃん)で、「だんだん」って見てません。アウトです!

matsue4なら初代城主堀尾吉晴の像・・・
実は堀尾氏歴代のこともよく知りませんでした、今回少し分かったのですがやっぱり地味でした。

困った果ての松江ネタひとつ。
まだ一度も云ってませんでしたが、松江市って何県でしょうか?
3秒おく
答え: 島根県です。しかも県庁所在地なんですよ(結構知られてない)
では同じく「松」が付く県庁所在地があと二つあります、何処だ?
7秒おいて・・・まとめておきます
島根県松江市、愛媛県松山市、香川県高松市の三つです。

山陰と四国で位置もなかなか憶えにくいのですよ。
そういう間違えやすいことは、クイズになり易いわけで、小学生のテスト問題としてもよく取り上げられるんですね。
学習塾などではこの3都市を「松三兄弟」と呼ぶところもあるようです。
これを機会に島根県と松江市をよろしくお願いいたします。
…とお茶を濁してのお別れとなってしまいました。

ただ次は凄いです!
戦国時代の山陰出雲の中心だった城へも行ってきました。
乞うご期待…です。

じゃぁ また









(14:55)

2014年04月24日

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四国香川県の丸亀城への登城は岡山を起点に、瀬戸大橋を渡って半日行程で行ってきました・・というのが前回の内容でした。
その岡山に居ながら備前の名城を素通りするわけにはゆきませんね。
で、今回は岡山城の巻です。
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岡山城 : 岡山市北区丸の内2-3-1

旭川を天然の堀として建つ天守、黒塗りの下見板を張り巡らせた外観の黒っぽい印象から別名「烏城(うじょう)」または「金烏城」
慶長2年(1597年)、8年の歳月をかけた宇喜多秀家による大改修で近世城郭としての形が整いました。
その後も小早川、池田家と江戸期を通して改修が続き明治まで存続。
旭川、後楽園側から見る佇まいに気品があって美しい天守でした。

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現在の天守は1966年復元のコンクリート製ですが、元の天守は明治の廃城後も取り壊しを逃れ昭和の時代まで生き残っていたのですね。
しかし昭和20年空襲により焼失しました。岡山の町ごと焼き尽くしたのはもちろんアメリカ合衆国です。他にも名古屋、和歌山、福山、広島など七城が空襲で焼け落ちました(簡単に忘れてもらっちゃ困りますね)
なんとも惜しいことで残念です。

備前の宇喜多といえば、なんと良いタイミングでしょう。
現在放送中のNHK大河「軍師 官兵衛」宇喜多直家が登場しています。
陣内孝則が演じる謀略、暗殺、裏切りの戦国の梟雄で、今回も徹底して悪役として描かれてます。
その直家の子秀家は羽柴秀吉の猶子となり白皙の貴公子、「備前宰相」と呼ばれ後の豊臣政権では五大老の一角を占め、備前五十七万石の大大名となりました。
岡山城とその城下は秀家が宇喜多家の威信をかけて造ったんですね。

何か宇喜多家の話はないかと探してみると、津本陽の「宇喜多秀家〜備前物語」があったので(古本で)読んでみました。
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宇喜多秀家〜備前物語
津本 陽
岡山城築城四百年記念事業として山陽新聞に380回掲載の「備前物語」に加筆訂正・・・ということです。
帯のコピーに釣られて、宇喜多秀家の生涯やその大活躍を期待すると、ちょっと外した感じになるかもしれません。前半は宇喜多直家、間に信長の中国攻め、本能寺の変を挟んで秀吉の天下統一、後半が宇喜多秀家(でも主役は秀吉)という構成です。


なんだか疲れました!直家〜秀家にまつわる事件を史実どおり時系列に沿って年号、日付、地名、人名が延々と綴られてゆくスタイルは歴史教科書的(でちょっと退屈)、私は前半部から何度も寝落ちを繰り返しつつ、やっとこさで読了しました。
ただ関ヶ原で破れながらも生き延びた秀家が徳川政権により八丈島へ流され50年、83歳で没する・・という僅か10頁ほどの最終章がひどく感動的で、帯のコピーもなるほどなぁ・・と思えてくるのでした。
いいな秀家!やっぱり家康って嫌な奴ってところに落ち着きそうです。

では、岡山編の締めとして唐突ですが、岡山名物「ままかり」は酢漬けの方が有名ですが、個人的にはイマイチなので、炭火焼きにしました、という何とも締めにならないまま終わります…はい。

じゃぁ また


(23:10)

2014年03月14日

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はい、予告通り四国の現存天守、全4城のうちのひとつ
香川県丸亀市の「丸亀城」へ登城の巻です。
まるがめ? 〜最近関東でも店舗が増えた讃岐うどんチェーンの「丸亀製麺」の丸亀ですが、香川や近県以外の人ですぐに丸亀市の地理的位置を説明出来る方は少ないのではないでしょうか。
大方はどこそれ? 関東圏からだと四国か!飛行機で行くんだなってことかもしれませんが、まぁとにかく行って来ました。
まずはその姿、城振りをご覧下さい。
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丸亀城 : 香川県丸亀市一番丁

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別名:亀山城、蓬莱城
高い石垣と漆喰塗りの天守が美しい城でした。
現存十二天守のなかでは最も小振りの天守だそうです。
開館時間は9:00~16:00、年中無休と素晴らしい!


城造りに最も貢献した城主は、1658年六万石で入封した京極高和で、大手門、天守などはこの時に完成しています。
以後丸亀藩は明治維新まで京極氏七代の城下町として続きました。
ちなみに現在の丸亀市のキャラクターは「京極くん」だそうです。

丸亀市は瀬戸内海を挟んで対岸の岡山と瀬戸大橋でつながっていて、車や列車で海を渡って行けるわけです。
岡山駅から丸亀駅へはJR線各駅停車で約60分、特急だと40分です。
それで岡山あたりへの出張機会を覗っていたところ先月末、ぴったり
「岡山市で撮影しろ」という指令を頂いたので、はいはいと二つ返事ですっ飛んで行きました。もちろん仕事はきっちり仕上げてます、はい。

この城歩きは当初、書籍版「司馬遼太郎と城を歩く」をベースにしていたのですが、その後NHKからビデオ版「〜城を歩く」DVD-BOXセット全8巻も出ました(NHK-BSで放送 2007~2008年)
見てない持ってないけど、ま、歩きのネタが増えて続けやすくなったかもしれません。なお書籍版に未収録だった今回の丸亀城がビデオ版の方に収められています。
そこで丸亀城ゆかりの司馬作品として取り上げられているのが
「龍馬がゆく」なのです。
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「竜馬がゆく」
今更説明の必要もない、明治維新の立役者坂本龍馬を主人公にした長辺歴史小説。
司馬遼太郎の代表作というだけでなく歴史小説ランキングでも常に上位を維持する人気作。
今のドラマ、映画での龍馬像はこの小説で作り上げられたようです。
僕もこれで司馬作品のファンになったのですよ。


え!、讃岐の丸亀で龍馬?・・・ですよね。
ビデオ版の解説を見ると、龍馬が丸亀藩を訪ねるくだりがあるというのです、が、はてそんなのあったかな?
十数年前に読んだ「竜馬がゆく」をパラパラとめくってみると、
あ、確かにありました!
第二巻(風雲編)、まだ土佐脱藩まえの龍馬が剣術修行という建前で、実は萩城下で長州藩勤王党に接触し、討幕運動の実情を調べに行くという話が出ておりました!(すっかり忘れてました)
その旅の途上、丸亀に寄って藩の剣術師範、矢野市之丞の道場で他流試合をする羽目に陥るという小説的展開になっています。
丸亀に立ち寄ったのは、記録も残っていて事実のようですが…
丸亀市も龍馬人気になんとかあやかりたいのでしょうね。

では、話を城に戻して、現存天守での決まり事、最上階より丸亀市街、瀬戸内海方面を望みました。
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これも現存の大手一の門(右)と大手二の門(手前)そして天守という図。
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そういえば、龍馬って日本全国を旅してますよね。
徒歩の時代ですよ、凄いです。
僕も気分だけは龍馬で各地の城下を訪ね続けたいなぁ〜と思ったところで頁も気力も尽きました。
次の予告はやめて、適当にやらせて頂きます。

じゃぁ また

(21:29)

2014年03月10日

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昨2013年10月、三度目の高知訪問の機会を得ました。
過去2回とも時間がなくて見送りましたが、三度目の正直、やっと高知城に登ることができました。
現存天守の場合は最上階まで上がって木造天守に直に触れてみることにしています。やっぱり、上がってよかった国の重要文化財...なのでした。
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高知城 : 高知県高知市丸ノ内

築城年 : 1603年 築城主 : 山内一豊 別名 : 鷹城
司馬遼太郎作品、高知城編は2作、まずは
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「巧妙が辻」
信長、秀吉、家康に仕え
ついに土佐一国の大名となった山内一豊とその妻千代の物語。世に言う
山内一豊の妻とはこの千代のことで、賢妻、内助の功の代名詞です。
2006年NHK大河ドラマでは、千代役を仲間由紀恵がやってました。
一大出世物語なのですが、人に仕えながら手柄争いや、人間関係の構築に夫婦そろって奔走する、なんだかサラリーマン人生の哀愁を感じさせるような話でもありました。なるほど「戦国出世譚」

YOTTE
もうひとつが
「酔って候」
〜幕末藩主伝
藩祖山内一豊から15代目
分家の出ながら偶然の成り行きで土佐藩主となった山内豊信(とよしげ)の生涯。
号は容堂、幕末四賢候の一人といわれ一時注目を集めたが、本質が旧態依然とした殿様であり、
激動の幕末においては特に大きな仕事を成し遂げることはなかった。
維新を見届けて後はひたすら酒を飲み続け、明治5年、46歳で没す。


Kochi2天守と本丸御殿
近付いてみると、あれなんか小振りで低いんじゃないの!
というのはなるほど三層六階の天守は通常の石垣の天守台に載せず、本丸に直に建てられていたのですね。
創建時の城は1727年の大火で消失したものの、1753年には消失前の姿で再建され今に続いているわけです。本丸内の建造物はほとんどが現存のものということで、やはり風格が違ってました。
歴代藩主も登った最上階まで上がって、城下町を見下ろしてきました。

Kochi

ということで四国の名城が続いておりますが、実は四国に現存天守を有する城は四城あるのです。
これまでに松山城 8、 宇和島城 25、そして今回の高知城27と歩いてきたのですが、さてもうひとつはというとこれが香川県の丸亀城なのです。
行きたいないきたいな〜と思い、またそう言い続けていると、そうです
先日ついにそのチャンスがやってきたのです・・
おっと、もう頁が尽きてしまいそうです、はい、それでは次回は
四国丸亀城の巻となりまする、期待せずにお待ち下さいね。

じゃぁ また

(23:04)

2014年02月02日

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OOZU1
大洲城 : 愛媛県大洲市大洲903

昨年8月現存十二天守のひとつ宇和島城へ向かう列車の窓越しに、このような立派な天守が視界に飛び込んで来ました。
地図で確かめるとこれが大洲城でした、不意のことでしたが川縁に建つ美しい姿に惹かれ、翌日宇和島からの帰り途中下車の旅となりました。

KAIDO14
司馬遼太郎 街道をゆく14
〜南伊予、西土佐の道
より
....大洲の町は、肘川の白っぽい河原に発達した。
...私が昭和三十年代のおわりごろ、はじめて大洲旧城を通過したとき、水と山と城が造りあげた景観の美しさに息をわすれる思いがした。
....日本中の町が画一化してしまったこんにち、昔の町割りのまま道路のせまさを保っているというだけで、大洲は都市空間としての誇りをもっていいのではないか。



司馬遼太郎のこの旅(1978年)の時点では、櫓のみが残っていて天守は明治の解体以後その姿を残していませんでした。
が、平成6年から天守復元計画が立ち上がり平成16年(2004年)に竣工。
主に市民からの寄付により、また当時の工法で往時の姿を木造で忠実に再現するという復元計画でした。
その天守は普通は奇数が好まれ三重か五重に決まったものが、「大洲のお城は四重四階」といわれたとおり四重構造となっています。
遠目にも人を惹きつける城の佇まいといい、すばらしい復元事業だと思います。

天守と高欄櫓
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また漱石の「坊ちゃん」を映画化するときは戦災で焼けて当時の面影が全くなくなった松山の替わりに大洲の城下町が使われるのだそうです。
そういえば手元にあるこういう映画にも大洲は登場してました。
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男はつらいよ 第19作
〜寅次郎と殿様
晩年のアラカンこと嵐寛寿郎が出演、 大洲藩藤堂家十八代当主という設定。
マドンナは真野響子。
ロケ地に伊予大洲の城下町が選ばれた1977年公開作品
肘川の河原に発達した大洲の街や城壁の遠景、江戸時代から残る櫓や石垣が美しい挿入カットとして映画に彩りを添えている。



今回、予定外の登城となり、急ぎ足で歩くこととなった大洲の町ですが、またゆっくり来てみたいという思いを強くしました。
次も四国の城・・です(記憶が新しいうちに・・)

じゃぁ また

(18:14)

2014年01月25日

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前回ちょっと訳ありな天守閣だったので、今回は正真正銘、現存十二天守のひとつ宇和島城へ登城の巻です。
愛媛県も松山市あたりへは仕事で出向くことも多いのですが、同じ愛媛でも南伊予の宇和島となるとなかなか機会が得られず、行ってみたい町のひとつでした。
で、昨年8月松山での仕事の後、一日居残って伊達十万石の城下町まで足を伸ばしました。
翌朝一番で登城、さすが伊達者の城小振りながら三層の美しい天守です。
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宇和島城(現存)天守 : 愛媛県宇和島市丸之内

宇和島城編は
「街道をゆく14 南伊予・西土佐の道」
城の山より
〜宇和島には市街のはしばしに江戸時代の城下町のにおいがのこっているが、奇妙なことに城山のまわりほどちがう。天守閣と城山だけが凝然と青い空をささえていて、その孤独さは悲痛なほどである。〜
…と、明治の廃城による取り壊しと戦時の空襲、戦後の開発で城山と丸の内がすっかり姿を変えてしまったことを嘆いてます。


これは連載中1978年の旅の印象ですが、今もまさにそのとおりでした。

宇和島伊達家の藩祖秀宗は元は仙台の伊達政宗の第一子でした。
ただ豊臣秀吉のもとで養子(人質)として育ったため、大阪冬の陣の後、徳川により仙台から遠隔の宇和島へ押し込められたということです。
ただ十万石を与えられ、その後は転封させられることなく伊達家は明治の廃藩置県まで続きました。
そんな歴史ある城下町を歩き回れて長年の希望が適いました。

現存天守なのでもう1カット
uwajima2

YOTTE

もう一作上げます「伊達の黒船」
〜「酔って候」収録
藩祖秀宗から数えて八代目伊達宗城
(むねなり)は幕末、志士たちから
「四賢候」の一人に数えられた。
その開明藩主宗城がペリー来航から
わずか六ヶ月後に自藩で黒船(自走船)の建造を試みる
そこに器用だけが取り柄の下級藩士嘉蔵も巻き込まれてゆく・・



その黒船も走っただろう宇和島湾と宇和海方面を眺めながら
お後がよろしいようで。
uwajima5

実はこの日、もういち城を訪れることが出来たのです。
それはまた今度、しばらく四国の城が続きますよ

じゃぁまた




(14:54)

2014年01月13日

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2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」
なかなか好調なすべり出し(・と思うのですが皆さん如何でしょう)
なので前回にひき続き黒田官兵衛ゆかりの城への登城でございます。
豊前(大分県)中津の中津城です。
Nakatsu-1
中 津 城
大分県中津市二ノ丁本丸
別名:扇城 小犬丸城
築城主:黒田(官兵衛)孝高
築城年:天正16年(1588年)

美しい天守と櫓を持った立派な城の写真を撮ってしまったのですが・・
これがまた多分に漏れず、時代考証的には問題有りな天守なわけです。
昭和39年建造の模擬天守と櫓で、これはかつての城を復元したのではなく観光目的にそれらしく新築した模造品な訳ですね。(この頃全国的な天守復興ブームでもあったのですが)
さらに数年前には維持管理に困った所有会社がこの城をネットオークションに出品という話題もありました。
こういう模造天守の例は全国各地に多数存在します。
僕自身は街おこしや土地の歴史、郷土愛の象徴といったアイコンとしての城郭復興はあって良いことだと思ってます。。
ただ天守閣については史実を全く無視した唐突なものも多く、その辺は気をつけて見てゆきたいと思います。
石垣などの遺構は間違いなく官兵衛の設計(なわばり)ですからね。

その存在しなかった天守のことについて、司馬遼太郎もふれています。
この「城を歩く」のベースになっている「司馬遼太郎と城を歩く」
その中津城の項で取り上げられた司馬作品が「街道をゆく34」です
Kaido34
・街道をゆく 34・
〜大徳寺散歩、中津・宇佐のみち

「如水と中津」から「中津城」
までの短い文章に、黒田家の来歴と
黒田官兵衛の波乱の生涯が濃縮され
ており大作「播磨灘物語」の
ダイジェスト版を見る思いです。
知略に長け人品卑しからぬと伝わる
官兵衛もやはり戦国の軍師、豊前入国の後に手を染めたと伝わる血生臭い謀略にもふれています。
その辺りNHK大河に出るかどうか?
ドラマで官兵衛ファンになったら
参考までに知っておきたいですね。

城の部分を抜粋しておくと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中津についてふれたい。
 この地が、中央に知られるようになるのは、織豊時代から関ヶ原の時代にかけてで、いつに如水という人物の活躍による。

如水は、秀吉に天下取りをさせた男といっていい。そのわりには、もらったものはわずかにすぎなかったが、それをうれしがって豪勢な城をきずくような男ではなかったろう。

要するに如水は天守閣などつくらなかったろう、ということを言いたいために、右のことをのべた。
天守閣は攻防のためよりも、権威を見せるためのものなのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、天守閣不在説を支持していて
さらに当地で模造天守が建っているのを見た司馬は

(中津というのは、そんな町か)
  と、この町を尊敬しているだけに、かすかながら興ざめた。___


と記しています。

ま、それは置くとして、折角歴史ある町へ来たのですから城下町散策
ここ中津出身の超有名人、本邦最高額紙幣の肖像福沢諭吉旧居跡へも
福沢諭吉旧居
_RSE0221











とにかくも、以前から一度行きたいと思っていた中津の町
早朝から午前中一杯をつかって秋晴れの城下町を散策し、中津城も見ることが出来ていい旅でした。
さらにこれが縁で福沢さんの描かれた紙片がひらひらと舞い込んでくれば言うことナシ・・なんですけど、ね。

じゃぁ  また

(16:32)

2014年01月04日

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お久しぶりです
「城を歩く」前回の忍 城から何と3年4ヶ月の月日が過ぎておりました。
理由を一言で云うと‘‘サボってた''...ということです。
で、本日また唐突に再開するのですが、記事にしてアップするのをサボっていただけで、城歩きはずっと続いておりました。
よってネタは溢れんばかりで、出番を今か今かと待っております。
ご用とお急ぎでない方、また宜しくお付き合いください....ネ

それでは本日の登城先は御着城・・えっ?・・ごちゃくじょ〜!
世界遺産姫路城の建つ姫路からJR線で東へ1駅、現在は土塁と堀だけが残る城址です。2010年4月姫路城登城の翌日に足を伸ばしました。
_RSS0067

御着城 : 兵庫県姫路市御国野町御着
築 城:1519年(~1579年廃城)
築城主:小寺政隆
別 名:茶臼山城

どう見てもマイナーなこのような城址をなぜ突然持ち出してきたかといいますと、実は明日(2014年1月5日)放送開始のNHK大河ドラマ
「軍師官兵衛」の主人公、黒田官兵衛ゆかりの城なのでした。

近江、備前から播磨と流浪していた黒田家、官兵衛の祖父重孝が仕官した小寺氏の居城が御着城だったのです。
この辺りの話もドラマに出てくるのでしょうか?
記憶がかなり怪しくなっているので、間違ってたらゴメンナサイです。
官兵衛と秀吉ならやはり姫路城の方ですけどね。
以上のことに付いては、司馬遼太郎の播磨灘物語に詳しいのでもう一度上げておきます。
こちらでご確認下さいませ。
harima

姫路城が現在のような壮麗な姿に改修されたのは、関ヶ原の後、徳川系の池田輝政の入城後のこと。
それでも姫路城は豊臣秀吉の天下取りの足場となった城(1580年入城)、出世城としても有名。その秀吉の名参謀だったのが黒田官兵衛。秀吉も家康も畏怖した戦国武将・官兵衛の物語。有岡城に幽閉された日の
「藤の花房」の逸話に感動しました



城址公園の「黒田官兵衛顕彰碑」
_RSS0059
そういえば今年2014年は姫路城の大改修工事竣工の年だったかな?
NHK、それも見越しての「軍師官兵衛」なのか!
やるなぁ。

ということで久々すぎてここで力尽きました。
とりあえず明日の第一回放送が楽しみだなぁ〜
(・・と逃げるように)
じゃぁ  また


(14:47)

2010年09月01日

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世の中いろんなランキングがあるもので・・・・
「夏に旅行や遊びに行ってみたい都道府県ランキング」というのを見付けました。→こちら
1位:北海道、2位:沖縄県・・と説明の必要もないのですが
では最下位47位はというと・・「埼玉県」となっていて、やはり説明の必要なしかも知れません。

ならばと、ひねくれ者の僕は8月、世間がお盆休みのなか敢えて埼玉県へ行ってきました。
埼玉県行田市、「ゆきた、いくた」ではなく「ぎょうだ」と読みます。
町名からいきなり「重箱読み」なのです。
ここに城があります。忍城と云います。「しのびじょう」ではなく「おしじょう」です、と前置きが長くなりましたが、今日は行田で「城を歩く」です。
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忍 城(復元三階櫓) : 埼玉県行田市本丸17-23
別名:水城、浮城
築城年:1469~86年
築城主:成田親泰
行田市郷土博物館

一見模造天守に見間違えそうな立派な構えですが、江戸期に築かれた三層櫓を当時の絵図をもとに再建した郷土博物館(1988年再建)です。
その旨きちんと説明されていて、櫓は展示室の一部となります。
全体に立派な博物館で、実物資料を多く展示していて飽きさせません。
全国に点在する、根拠のない模造天守内に甲冑のレプリカを数点ならべてお茶を濁したようなお城型博物館もどきとは別格で、行田市の力の入れようが伝わってきました。
常設の「足袋と行田」では、行田市がかつて足袋(製造)の町だったと初めて知りました。
街の歴史と文化の象徴、アイコンとしてのお城再建の成功例でしょう。
来てみてよかった埼玉県!
そんな郷土の紹介に熱心な行田市にとって、知名度を全国的なものにする絶好のチャンス到来となったのが小説「のぼうの城」でした。

nobou
のぼうの城 〜 和田 竜(小学館)
脚本「忍の城」(03年)を小説化した作品
著者小説デビュー作にして直木賞ノミネート   「本屋大賞」2位

天下統一目前の秀吉の小田原城攻め。圧倒的多数の秀吉軍に北条方の支城が次々と落ちる中、どうしても落とせない城があった。石田三成の水攻めにも持ちこたえた武州忍城。その城代は領民から「のぼう様」と呼ばれた成田長親。「のぼう」とは「でくのぼう」のことだった。今までにないタイプの戦国武将を描く。

本が売れて忍城・行田の名も広く知られるようになったと思ったら、
今度は2011年秋公開で映画化決定と行田市には嬉しいことが続きます。
犬童一心監監督作品。主演、長親役は野村萬斎、他に佐藤浩市、成宮寛貴、山口智充ほかで、この8月にクランクインしています。
その映画「のぼうの城」の公式サイトで合戦シーンのエキストラを募集してました。行田でロケか?面白そうだなと思ってよくよく見たらロケ地は北海道苫小牧とのこと。そりゃそうだと納得。
この合戦の時代、忍城にはまだ立派な櫓などなかったはずですが、さて映画ではどうなっていることやら。

さらにその忍城攻防戦という同じテーマでもう一冊。
mizuno
水の城 〜いまだ落城せず
風野真知雄  祥伝社文庫
2000年刊行作品の新装版
作品の舞台、登場人物とも 「のぼうの城」と同一。どちらが先ということでもなくほぼ同じ時期に準備、執筆が進行していたものと思われます。
とりあえず読み比べてもらうしかないですね。
個人的には本来脚本目的ではない本作の方に、より映像的というか劇画調のシーン展開を感じたのですが・・・

そんなわけで、真夏の一日、灼熱の埼玉は行田に遊び、城址公園あたりをうろつきながら、
「夏草や・・・」のおもいを深く・・しているまもなくもう一カ所、隣町へと急ぎました。
次は、埼玉県羽生市からお届けします・・・

じゃぁ また











(21:52)

2010年07月16日

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彦根藩といえば徳川譜代の大名、井伊家ということですが・・
井伊といえば、幕末雪の桜田門で暗殺される井伊直弼が有名です。
その直弼が青年時代を過ごした「埋木舎」という屋敷が残っています。
hikone3

hikone4埋 木 舎(うもれぎのや)
彦根藩主の第14子として生まれた直弼が32歳まで不遇の時を過ごした屋敷。自身世に出ることもない埋もれ木として自虐的に命名しながらも文武両道の修練を積んだところです。
後の参謀、懐刀の長野主善との出会いもこの屋敷でした。

直弼、主善ともに日本開国に向けて奔走した開明派として再評価もされているようですが、「安政の大獄」という弾圧の暗いイメージはどこまでもついて廻ります。さらに女密偵村山たか絡みの三角関係となると益々景色が悪くなるようで・・・・
hanano
花の生涯 上下
船橋聖一  講談社
1952~53年毎日新聞に連載。
井伊直弼の埋木舎での下積み時代から、藩主、大老就任、安政の大獄を経て桜田門外の変で暗殺されるまでの生涯を描く。
直弼に参謀主善、密偵村山たかが絡む歴史ロマン。
1963年NHK大河ドラマの第一作に選ばれた作品。



「歴史ロマン」と云えば何だか聞こえは良いのですが、三角関係の澱んだ雰囲気に疲れます。
大家の作品も今となっては、視点に古臭さを感じますし、特に現代の女性には受け入れ難い作品ではないでしょうか。
それならば、たか女を通した現代女性の視点で直弼を見直してみたら目から鱗がポロリと落ちるかと思って、諸田玲子の「奸婦にあらず」を読んでみたのですが・・・・・
Kanpu
奸婦にあらず 〜諸田玲子 
2006年 日本経済新聞社
2007年 新田次郎文学賞受賞作
密偵村山たかを描いた作品なので、たか女の出自がより精細に、かつミステリー仕立てになっていて引き込まれます。多賀大社など近江の名所もいきいきと描かれています。
「笠雲」「其の一日」の諸田作品ということで、大いに期待したのですが・・・・


やはり歯切れの悪い、幕末メロドラマになってしまっていて(それはそれで結構なのですが)所詮、直弼は直弼だなぁ、素材が悪いよとため息ひとつ。
(僕はどうもメロドラマが苦手のようですが・・)幕末の志士達に比べて格好悪すぎますって。

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藩祖 井伊直政像
(JR彦根駅前)
結局のところ
彦根の町が駅前に銅像まで建てて祭り上げ、全国の皆さんに知ってもらいたいのは、桜田門で首を取られてしまう独善と弾圧、好色な直弼よりも、藩祖にして勇猛な戦国武将の井伊直政の方なんだなぁ・・
と改めて納得するのでした。ただ
武者ぶりはいいけど知名度がねぇ!
なかなかうまく行かないものです。


じゃぁ また


(19:20)

2010年07月01日

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関西圏への出張ではいつも、新幹線「のぞみ」で素通りしていた滋賀県でしたが、昨年、撮影で訪れて以来すっかり近江路のファンになってしまいました。
今回も草津市で撮影終了後、以前なら京都へ戻って「のぞみ」で真っ直ぐ帰京するところを、琵琶湖線の彦根で途中下車。
姫路城につづいて国宝彦根城に登って来ました。訪問は二度目です。
hikone1
彦根城 : (現存)天守 : 滋賀県彦根市金亀町1-1
築城:1622年(元和8年)
築城主:井伊直継    別名:金亀城:

徳川四天王の一人井伊直政が関ヶ原の軍功により18万国で近江沢山城に入城。
その後直継の代に沢山や大津など近隣の城郭を破壊して
その資材を使い、琵琶湖畔彦根山に築城。
天守は昭和27年国宝指定、姫路、松本、犬山と共に国宝四城のひとつ。
西の丸、二の丸、太鼓門、天秤の各櫓も現存の重要文化財。

「司馬遼太郎と城を歩く」彦根城編で取り上げられたのは安土城編と同じ「街道をゆく」No.24近江散歩

oumi司馬遼太郎は、関ヶ原での井伊直政の戦功、近江入国後の井伊家の治世、彦根城築城の経緯を語り、実際に琵琶湖の湖水越しに見た天守の美しさに感動し、近江建築の理想的な結晶体と褒めています。
僕も数年ぶりに彦根城に来てみて、平山城全体の佇まい、天守や櫓の持つ本物の美しさに改めて感動しました。相変わらず静かな彦根の町を歩き、関ヶ原の勝者も幕末維新の敗者となる歴史の因果を思いながら、寄り道の近江散歩でした。

hikone2

実は新幹線の車窓から遠景ながら彦根城は見えます。(最近知りました!)
安土城の安土山など車窓から眺める近江路の風景が以前と違ってとても身近に感じられるようになりました。
井伊家15代藩主、井伊直弼の「埋木舎」(うもれぎのや)にも寄ったので次回ご報告しましょう。

じゃぁ また

(20:03)

2010年04月16日

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今回は、国宝にして世界遺産、城のなかの城、姫路城です。
勝手に、また適当に始めた「城を歩く」シリーズなので、内容、完成度については、何の義務や責任も負っていないのですが、意地か見栄かこだわりか、やはりこの城を外しては点睛を欠く様な気がしていました。
で、うまい具合に関西で撮影があったので姫路まで足を伸ばしました。
もう4月の半ばを過ぎたというのに桜が満開で、
絵はがき風に撮ることが出来ました!

_RSS0016
姫路城 (現存)天守 : 兵庫県姫路市本町68番地
別名:白鷺城
築城:慶長14(1609)年
築城主:池田輝政
_RSS0043

「司馬遼太郎と城を歩く」で取り上げられた作品は「播磨灘物語」
harima

姫路城が現在のような壮麗な姿に改修されたのは、関ヶ原の後、徳川系の池田輝政の入城後のこと。
それでも姫路城は豊臣秀吉の天下取りの足場となった城(1580年入城)、出世城としても有名。その秀吉の名参謀だったのが黒田官兵衛。秀吉も家康も畏怖した戦国武将・官兵衛の物語。有岡城に幽閉された日の「藤の花房」の逸話に感動です。

姫路城は昨2009年10月より5年をかけて大規模改修工事(平成の大修理)が進行中で、現在天守の内部へは入れなくなっています。
さらにこの後、「素屋根」という囲いで天守全体が覆われてしまい、
2014年まで見ることが出来なくなってしまうのです。
実は姫路城へ来たのは二度目、前回天守の内部までじっくりと見たのですが、写真を撮っていなかったのでちょっと慌てて駆けつけたという次第。すでにクレーンが立ち上がっていてギリギリセーフでした!
来て良かった!改めていいもの見せていただきました。


黒田如水(官兵衛)については
例によって

josui学研歴史群像シリーズ38
「黒田如水」

〜天下取りを演出した希代の軍師

「黒田如水」
吉川英治歴史時代文庫44
講談社


で、官兵衛ゆかりのとなり町にも立ち寄りました
次回ご報告です

じゃぁ また




(20:12)

2010年02月13日

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五稜郭からさらに3〜4Km内陸部(北)へ上がった位置にもう一つ城跡があります。
知る人ぞ知る四稜郭。今回やっと見に行くことが出来ました。

星形で五つの突起部を持つ五稜郭に対してこちらは方形で突出部が四つのためその名があります。明治2年、箱館戦争の際、旧幕府軍が五稜郭支援のため急造した洋式城郭。現在も遺構、土塁が残っていて国の史跡指定。
公園となっていますが五稜郭と違って観光客はまずやってこないところ、乗ったタクシーの運転手さんも初めて来たとのことでしたが、チラッと一目見てさっさと運転席へ戻ってしまいました(寒いし)

このように希に城好き、歴史好き、のなかでも特に物好きな輩がぽつりぽつりと出没する程度の城跡です。人っ気もなく夏場などはなかなか良さそうな場所ではありますが、今回は真冬の雪景色、しかも夕暮れ時でしたので、だいたいの規模、土塁の高さ、そして何より函館湾や五稜郭からの距離感などを体感、確認して夜の函館の町へと引き上げました。
一応データを記しておきます。
Hakodate2
四稜郭 : 北海道函館市陣川町59
築城:1869(明治2)年
築城主:旧幕府軍
設計は陸軍奉行大鳥圭介との説あり。
4月に2週間で急造するも5月新政府軍の攻撃で陥落。五稜郭も開城され箱館戦争終結へ。

このような歴史上の事件、人物ゆかりの地を訪ねる時に重宝するのが
「歴史群像シリーズ」〜学研ですね。記事の内容は云うまでもなく、豊富な写真、図版、特に折り込み式の年表や地図など、さすが「学習」&「科学」の学研。付録感覚がお買い得感をそそります。
僕ら素人には無敵の参考書です。全〜部欲し〜です。
akahon土方、五稜郭関係の
下調べにと2冊引っ張り出したのが
No.58 土方歳三
熱情の士道、冷徹の剣
No.56幕末剣心伝
青き志と
 赤き血潮の肖像
・・ただ旅先まで持って行くにはちと大きいし、なんかマジ気恥ずかしいような・・・

ところで、この歴史群像シリーズの顔とでも云うべき、印象的な表紙のイラストレーションを描いていらしたのが毛利 彰さんでした。
記事にするにあたって、調べてみると・・・

えー、この話、次にします 

じゃぁ また












(20:09)

2010年02月11日

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司馬遼太郎の作品に登場する城のうち三十五城を、作品の抜粋とともに紹介した「司馬遼太郎と城を歩く」(2006年光文社)が城歩きを始める切っ掛けでした。その冒頭、一城目にとりあげられたのが函館五稜郭です。
作品は「燃えよ剣」。新選組、鬼の副長と畏れられた土方歳三の生涯を描いた特に人気の高い作品です。
Hakodate1

moeyo五稜郭燃えよ剣(文藝春秋)
北海道函館市五稜郭町43
別名:亀田御役所土塁
築城:元治元年(1864年)
築城主:徳川幕府(設計:武田斐三郎)

黒船来航〜日米和親条約により開港された箱館を治める箱館奉行所として築かれた日本初の西洋式城郭。
函館湾からはやや遠い内陸部にあり、予算も時間も不足して要塞としては未完成の失敗作。明治2年(1869年)新政府軍と旧幕府軍の最期の戦争(箱館戦争)の舞台となったことで歴史に深く名を刻む。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回、札幌での撮影が一日で無事に終わったので撮影スタッフは予備日を使って函館廻りで帰ることになりました。
五稜郭は二度目になります。
城郭の形状を俯瞰するための展望塔「五稜郭タワー」が新しくなっていて、より高い位置から全景を見ることが出来ました。雪景色の五稜郭もなかなかです。
それから前回の訪問時に探せなかった土方歳三最期の地も確認してきました。 
Hakodate3
土方歳三最期の地碑
函館市若松町
土方歳三が壮絶な最期を遂げたとされる一本木陣地跡に建つ石碑。
全国の土方ファンの献花が絶えないそうです。


これが、ちょっと分かり難い場所にあって案内も十分にはされていないのですが、御当地出身のCD様にご案内頂き無事にお参り出来ました。
(CDとはコンパクトディスクではなく、クリエイティブ・・え〜と撮影の現場監督みたいな人のことです・・)ありがとうございました。


「燃えよ剣」はじめ新選組、土方歳三ものはこれまでに映画、TVドラマとも数え切れないくらいありますが、最近復刻されたDVDを一作挙げておきます。
moeyokenタイトルもそのまま
燃えよ剣  
〜市村泰一 監督作品
1966年11月公開松竹映画
出演:栗塚 旭
   和崎 俊也 石倉 英彦
   小林 哲子 内田 良平
(デジタルニューマスター版DVD)
原作はもちろん司馬作品「燃えよ剣」ですが、映画の方は多摩日野宿で「石田村のバラガキ」と呼ばれた歳三の剣術修業時代から、京都で新選組が一躍名を上げた池田屋騒動までを描いた娯楽時代劇に仕上がってます。後半と箱館での最期は省略されています。


 映画作品としては、歳三の悲恋物語が色濃く描かれています。
また原作、史実と異なり尊攘浪士の池田屋会合の情報が愛人(佐絵)からもたらされたり、土方自身が池田屋に踏み込んで、多摩時代からの宿敵七里研之助と大立ちまわりを演じるなど、新撰組フリークや昨今の歴女あたりからは、鼻で笑われそうな演出になっていて、僕もちょっと苦笑かな。
がしかし、ここは当時司馬遼太郎をして「最も土方歳三らしい」と言わしめた栗塚旭の土方歳三ぶり、男くささを堪能出来れば良いのではないでしょうか・・(と擁護しておこう)
ところで役柄、演技と違って栗塚旭 本人は至って温厚、どちらかと云うともうナヨナヨっとした人柄だときいていました。
このDVDの特典映像での栗塚インタビューを見て、なるほどと納得。
ホントに優しげな紳士、実直な俳優、いいおっちゃんって感じです。インタビューの内容も濃くこの特典映像だけでも見る価値あり。
土方人気を一気に高めた一本です。機会があったら観て下さい。
よろしくです。

じゃぁ また


(15:36)

2010年01月24日

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hamamatsu1
浜松城 : 静岡県浜松市中区元城町100-2
別名:曳馬城、引馬城
築城主:徳川家康
築城年:元亀元年(1570年)

静岡県浜松市内で13時から、という撮影があったので少々早出をして
「家康の出世城」として名高い遠州浜松城ヘ廻りました。
戦国大名として着実に力を伸ばしていった若き家康(29~45才)が足場とした城です。後に天下を統一し徳川300年の歴史を築く礎となった城とも云えるでしょうか。

hamamatsu2若き日の家康像
浜松城の特徴でもある野面積みの無骨な石垣は築城時のまま400年以上風雪に耐えてきたものですが、例によって天守閣の方は昭和33年に復興された模擬天守で、建造物としての歴史的価値は有りません。それでも石垣と天守のバランスも良く、歴史を偲ぶアイコンとしての役目は充分に果たしています。良い佇まいの城でした。





HAOU
覇王の家
「司馬遼太郎と城を歩く」浜松城遍で取り上げられた、家康の生涯のダイジェスト版と云える作品です。中でも1572年上洛を目指す武田信玄率いる2万数千の大軍に自軍1万ほどで挑み、散々に打ち負かされて大潰走、命からがらこの浜松城へ逃げ帰った三方ケ原の合戦は有名ですよね。
ただその敗戦を生涯忘れず教訓としたそうで、失敗に学ぶ姿勢は成功者に共通するところです。


 家康が天下統一を果たし駿府城(No.16)へ入城した後は、徳川譜代の大名が次々に浜松城主となりました。
その多くが徳川幕府で老中、大阪上代、京都所司代等に登用されたのでますます「出世城」の名が上がりました。
天保の改革で知られる水野忠邦(高校日本史でやりましたね!)も25歳で肥前唐津藩からここ浜松へ転封をはたし、出世コースにのって老中まで駆け上がった人でした。
しかし改革は失敗、失脚・・・・
政治の世界では何百年も同じようなことが行われているようで。

吹かなくても飛ぶような、小っさい事務所でカメラマンなどやってると、人の足引っ張る必要もヒマもなくて、まぁかえって幸せかも・・と
「出世城」眺めながら想うのでした。

じゃぁ また




(12:27)