camera & photography

2011年08月17日

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この2枚の薄いプラスチックの板は何に使うものでしょう?
フィルムがヒントになってますが・・・
_DSC0101

最近はカメラと云えばデジタルカメラのことになっていて、もうフィルム自体を見たことがないという世代も登場して来そうです。
僕も35ミリのフィルムを使った記憶がそろそろ怪しくなってます。
で、この道具といえば、最後はいつのことだったか・・・

これは「フィルム引き出し器」、または「フィルムピッカー」といって、パトローネに巻き込んでしまったフィルムの先端をもう一度引き出すための道具です。通称「ベロ出し」

どういう状況で「ベロ出し」が必要になるかというと、たとえば途中まで撮影したフィルムを一度カメラから抜き、あとでもう一度残りを使いたい・・・が先端を巻き込んでシマッタァ!などです。

まずは実際の使い方
_DSC0104このようにフィルムの先端部を巻き込んでしまっても、またはそれで困っている人を見かけたら、
慌てず騒がず、マジシャンのようにすました顔で
「ベロ出し」を取り出します。



_DSC0105まず大きい方の板(ガイド板)をパトローネの隙間から差し込みます。
このように折り返しの部分まで差し込んだら、フィルムの巻心を巻き込み方向へ回転させると、パチンと音のする箇所があるので、その位置を確認し、そこで止めます。

_DSC0106さらに小さい方の板(引出し板)を、ガイド板に重ねて差し込みます。フィルムのパーフォレーション(送り穴)に引き出し器のツメが掛かります。巻心を少し巻き込み方向へ回しても良いです。



_DSC0108
あとは引出し板を引き出すと、フィルムの先端部がスルスルっと付いてきます。
ここで、歓声と拍手が起きます。目出度し目出度し。



_DSC0110これは(株)エフエルという会社の製品で、当時の定価980円。
他にも2枚のフィルムで挟み込んで引き出すタイプもあります。
で、昔はこれを持っていると、スターに成れた・・かというと
そうでもなく使う機会も2〜3度有ったか無かったか。

割とどうでもいいような、でもちょっと可愛らしい、
天使の羽のようなアナロググッズです。
お試し下さい、機会があれば・・ア、もうないか!

じゃぁ また





(20:07)

2011年01月06日

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休憩に珈琲でも入れようか・・と思ったら
珈琲メーカー用のペーパーフィルターを切らしていました。
薄い紙のフィルター1枚が無くてコーヒーが飲めません!
(まさかティッシュじゃ代用できないし・・いや出来るかも!)、そんなフィルター1枚!薄いけど大事なフィルター・・そういえば・・
というわけで今回は、最近すっかり使う機会がなくなった撮影パーツ
フィルターのお話です。

数あるフィルターの中でも、コダック社製のラッテン・フィルター(WRATTENは開発した英国の会社名)、通称「ゼラチンフィルター」はポジフィルムでの撮影現場には欠かせないモノでした。
filter1

普通は枠に入れてレンズの前(時に後ろ)に付け、発色の微調整、色温度変換(赤く青く)ほか、ポジフィルムの色味を調整する目的に使用してきました。
緑色がかる蛍光灯照明での撮影にも欠かせず、フィルター1枚が無くて最良の結果を得られないということも起こり得ることでした。

filter2各種ゼラチンフィルター
カラーメーター(MINOLTA)
  傷付きやすく経年で劣化するので、使用頻度の高いものは時々買い換え、揃えておかなけれならない、ちょっと厄介なモノでもありました。
忘れて現場で焦ったことも・・・


ところがデジタルカメラ導入後、そのゼラチンフィルターが一部を除いて不要になりました。
カメラ側でコントロールが可能になったからです。

filter3NIKON D3Xの設定画面
感度、ホワイトバランス、
コントラスト、色調等が細かく設定可能。
これはありとあらゆる種類のフィルムとフィルターを所持しているに等しく、ちょっと前には夢のような話で、現場での心理的負担からは相当開放されました。

デジタル化の恩恵をしみじみ感じる場面です。
ただアナログ時代、経験に裏打ちされた各人各様の調整術、名人芸的手法の出番が無くなったのも事実。先輩方の凄い裏技も、ゼラチンと共に去りぬ!といったところでしょうか。

さて、そもそもフィルターとは・・・
珈琲のフィルター、エアコンや浄水器、煙草にも付いていて日常の暮らしに欠かせないものです。
日本語では「濾過器」、濾すもの。液体や気体をある基準で選り分ける、例えば園芸や調理で使う「篩」(ふるい)の役目をするものです。
必要な空気(酸素)は通し、埃や花粉、風邪のウイルスを通さないマスクなどもフィルターの良い例かも。
で、写真用フィルターが篩にかけていたのは「光」です。光は電磁波の一部ですから周波数で振り分けていることになるのですが・・・

まぁ難しい話はさておいて、
日々の暮らしのなか、入学入社や各種試験、人選においては、人の力量、器量さえ篩に掛けられるわけです。各種のランキング、好きも嫌いも篩い分け、フィルタリングに外ならない。
偏見を持って見ることを「フィルターをかけて見る」とも・・・
良いのか悪いのかフィルター!

さてさて、人生事あるごとに篩い落とされ、すっかり角は丸められ粒は揃えられ、どれもよく似た「おっちゃん」と「おばちゃん」が出来上がって・・・・

それでいいんですかぁ!!
おっと、今年も春から脱線、暴走気味ですが
よろしくお願いいたします・・・ね

じゃぁ また


















(13:51)

2010年11月27日

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先日、秋葉原のカメラ量販店で新しくレンズを購入しました。
メインカメラとして使っているニコンの、ズームレンズです。

_DSC0003AF-S NIKKOR
24〜70mm f2.8G ED

標準系ズームとしては、やや大きく重いレンズですが、描写力は抜群。
D3系カメラボディとのバランスが良く使い勝手の良いレンズです。
今や、去っていった大判カメラ用の単焦点レンズ(過去ログ)に変わって、デジタル一眼用のズームレンズが主役になってしまいました。



フィルム撮影の時代には、35ミリの仕事でもズームレンズを使用することは滅多にありませんでした。
重くて暗く(開放F値大)、性能(解像度、発色)の悪い玉ばかり・・・と個人的には避けていたものです。ところが今は・・・・
zoom2

D3Xとズームレンズ3本(14~24,24~70,70~200mm)
これでほとんどの仕事をこなしています。

まず新設計のズームレンズ群の性能が大幅に向上したことがひとつ。
またこの3本で単焦点レンズ12~13本分の画角を無段階、連続的にカバーし、機材の簡素、軽量化にも一役買っていること。
さらにデジタル一眼では出来るだけレンズ交換の回数を少なくしたいというのもズーム使用の理由。
受光素子(実際はローパスフィルター上)への埃の付着を避けたいからです。
・・と、あれこれ理由を付けてみたものの、まぁひと言で云えばズームレンズは何かと「便利」だということになるのですが・・・・

その便利さにかまけて使ってはいるものの、
本音を云えばオートフォーカスとズームレンズはいまだちょっと苦手。
オートフォーカスに付いては別の機会に譲りますが、
ズームレンズに関しては、頼り過ぎると「年月をかけて体得した、各単焦点レンズの画角と撮影距離の感覚が鈍ってしまう」
被写体に対して、一本のレンズを選び、体ごと瞬時に移動(寄ったり引いたり)して決めていた構図を指先ひとつで簡単に変更出来てしまうことで、ぎりぎりまで構図を追い求める気迫が薄れる・・ということでしょうか。
気迫などというものは個人差、心構えの問題かもしれませんが、「便利になって失うもの多し・・」と仲間内でも時々話題にしております。

では、そのズームレンズをなんとも効果的に使った例をご紹介しながら自分への戒めとしておきましょう。ただしこれはムービー、映画の世界でのお話。しかもズームレンズがまだ広く普及する以前の作品です。

それはサスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督の1958年(昭和33年)作品「めまい(Vertigo)」です。
ここでヒッチコックはズームレンズを使い、高所恐怖症の主人公が感じる恐怖感、目眩の感覚を視覚化して見せました。
ズーミングとドーリー(移動)を巧みに組み合わせて得られる効果で、今でも「めまいズーミング(Vertigo shots)」と呼ばれる技法です。被写体のサイズは一定のまま、画面全体の遠近感(パース)が連続的に変化する効果のこと。
百聞は一見にしかず・・未見なら是非ご覧下さい。
memai
め ま い (Vertigo)
完全修復版
1958年 ユニバーサル
監 督
アルフレッド・ヒッチコック
主演
ジェームス・スチュアート
キム・ノヴァク

めまい効果のサンプルを
「めまい」「ジョーズ」その他から→Vertigo Shots


新しい機材を目先の効果に流されることなく使いこなすところはさすが巨匠の仕事です!
その後70年代に入ってズームレンズが一般化した頃の、安易にズーム効果(特にズームアップ)を使った作品は、今見ると安っぽく、また古臭く感じます。
これは僕たちスチールカメラマンも常に気をつけなくていけないことですね。
目先の新しさに流されるな、安易なデジタル効果も含めて!と
・・そうです、え〜ちょっと「めまい」が・・

じゃぁ また




(17:39)

2010年06月19日

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先日、ほぼ3年ぶりに撮影現場に6x6判カメラ、ハッセルブラッドを持ち込みました。
オヤ珍しい、フィルムで撮影?・・・ではなくて
ハッセル自身が被写体、小道具のカメラとしての貸し出しだったのです。
_DSC0042
右:HASSELBLAD
   500CM

左:HASSELBLAD
   553ELX


レンズ:CARL ZEISS
Planar80mmF2.8
Planar 100mmF3.5



ブローニー(120)タイプのフィルムを使う中判カメラの定番中の定番。
世界中で使われてきたスウェーデン製の名機です。
レンズはドイツの名玉、カールツァイス社製プラナーやゾナー。
高価なカメラの代名詞でもあり、基本の500CM(写真右のセット)の正規輸入品は1982年当時、50数万円でした。

中判カメラは国産品も勿論何種類かあるのですが、ハッセルブラッドを所有し使いこなすことが広告・出版の世界で写真を撮るプロフェッショナルの証、といった暗黙の了解があったのも事実。
駆け出しの頃は、現場での箔付けに仲間同士で貸し借りしたものです。
(国産B社、M社製をプアマンズハッセルなんて憎まれ口も・・・)
また何年もかけて少しずつレンズやパーツを買い足してもきました。

やっと体裁がついた僕のセットでしたが・・・↓
_DSC0039


デジタル撮影に移行してからは、デジタル一眼レフカメラ(DSLR)がメインになって、出番がなくなってしまいました。
それで、久々の出番が先の小道具扱いです〜(アンティークか!)

ハッセルブラッド(Vivtor Hasselblad)社はデジタル関連製品も時代に先駆けて開発、発売していて今でもプロ御用達カメラであることに変わりはありません(ホントは買ってみたい)

ただちょっと、ますます(法外に)高価になってまして
カメラ本体とデジタルバックで数百万円の世界じゃ、おいそれと手は出ませんね!しかも2~3年でアップデートの買い換えじゃぁ、減価償却すら出来ませんって。
(アナログ時代は20年かけて元を取れば良かったのです)

さらに中古市場ではフィルム6x6判ハッセルの値は下がる一方で、まともな値は付きません。
まだまだいい調子で現役続行も可能なのに、機材棚でケースごと行き場をなくしてる歴戦の友、ハッセルブラッドよ・・
老兵は死なず、ただ・・・・え〜(涙)

じゃぁ また


(17:24)

2010年01月05日

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2010年、新しい年の業務開始の本日、新しい機材がやって来ました。
Nikonデジタル一眼レフカメラD3sです。
年末には出番をなくした大判レンズを何本かネットオークションに出品し、落札された機材のお見送りをしてました。
もう慣れたはずの「ゆくアナログ」と「くるデジタル」の風景ですが、見送りはいつもちょっと寂しいもの・・・で新年早々こんな新機材の出迎えには心も弾みます。
d3s-1
Nikon D3s
2009年11月27日発売
好評D3をさらに高感度仕様に改良した最新機
フルサイズCCD
1,210万画素
ISO12800までを常用感度とし、さらにISO102400まで増感可能。
HD動画撮影機能も搭載
「未踏の領域へ」行ってみるしかないですよ!




12月21日付のニコンからのニュースによると
アメリカ航空宇宙局(NASA)から宇宙での記録撮影用に、この「D3s」
11台と交換レンズAF-S 14-24mm 7本の発注があったそうです。
この組み合わせ、僕も良く使うことになるでしょう。宇宙仕様です。
アポロの時代から宇宙での定番カメラはNIKONとハッセルブラッドと決まっていますが、あらためてニコン党には嬉しいニュースです。(決してC社製カメラではないのだよ!すぐ壊れるしネ!)

d3sこれで既に導入済みのD3xと併せて撮影は全てフルサイズとなりました。
ファインダーも見やすくなって、旧マニュアルフォーカス大口径のレンズをもう一度活用してみようかと思っています。
実はオートフォーカスってちょっと苦手なんですね(自分で合わせた方が確実で速いし・・)

そんなわけで新年早々、ニコニコNIKONで気分も上々(^_^)vです。
・・あっそうだ、ご挨拶が遅れました
皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします・・ニコニコ

じゃぁ また

(19:14)

2009年12月12日

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僕たちカメラマンの商売道具といえばもちろんカメラ
中でもプロをプロたらしめていたのが4x5inch判以上の大判カメラでした。輸入、国産合わせて4台の4x5(シノゴ)と8x10(バイテン)1台を使ってきました。さらにカメラの重要なパーツとして大判用レンズが必要ですが、これも17〜8本を揃えて、いちフリーカメラマンとしてはかなり多い方だったと思います。
もともと道具というものに愛着を持つ性分もあったのですが、実際の撮影業務に必要なものだから一本ずつ買い足してきたのです。
道具と技術に少々の感性を加えることで撮影料というお金を発生させるのがプロ。道具がお金を生む訳で、ここがアマチュア写真家やカメラコレクターとの大きな違いです。
_DSC0004
ジナーF2ニッコールW240mm
ジナー(スイス製)はリンホフ(ドイツ製)とならぶ二大大型カメラメーカーで、現在もデジタル関連の撮影機々を積極的に生産しています。
F2はシリーズの中では軽量で建築やインテリアで使用されることの多かった機種。
ニッコールは日本のNIKONが製造するレンズ。ただし大判レンズは生産終了、メーカー在庫もなし。


ところが・・・
撮影のデジタル化によって、件の大判カメラ、レンズの使用機会がほとんどなくなってしまいました。僕自身がデジタルでの撮影を選択しているからでもありますがここ数年4x5フィルムでの仕事をしていません。
プロの道具がお金を生まなくなってしまったのです。
長年使ってきた機材に愛着はあるものの都内のオフィスでは収納スペースはいつも不足しています。
さらにデジタル機器は短期間でのアップデートを強いられて資金もいつも不足がち・・・となれば「歌を忘れたカナリヤ」を後ろの山に捨てるには忍びないものの…・現金化!ネットオークションに出品です。

oobann72mm








右シュナイダー社製スーパーアンギュロン72mF5.6XL
建築、インテリア撮影に適したドイツの名玉


今、ネットオークションを覗いてみると、出番を失い、持ち主だったプロに放出された大判カメラ、レンズが多数並んでいます。かつてのマニア垂涎の名機、名玉が信じられないくらいの低価格で身の寄せどころを求めているのです。買い手の多くはアマチュア写真家、コレクター、中古機材販売業者かと思われます。
出品するからには少しでも高く売りたい、出来れば優しき写真愛好家に引き取って頂きたいというのはこちらの勝手な言い分。
本音を云うと、鉄とガラスのずしっとした量感をもった物をパソコンのソフトという実体のない、いかにも軽々としたモノへ取り替えたときの喪失感がちょっとつらいです・・・ただのセンチメンタリズムなのでしょう。(きっとそうでしょうね)
そうかもしれないけど、我が儘ついでに云わせていただきます。
「願わくば、わが愛しのレンズ達よ、新しい主人の目となってこのうわついた時代の行き着く先を見届けてくれ!」
・・とうわついたオークションウォッチャーの僕は夢想する毎日です。
請う!高値落札!!

じゃぁ また




(20:07)

2009年03月20日

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 広告、出版の分野でもデジタル撮影がすっかり定着しました。
僕自身デジタル化のなかでの右往左往ぶりを時折、綴ってきましたが、デジタル化が最も急速に進んだのは報道写真の世界。
報道の即時性を考えれば当然で、本格化してから10年が経つそうです。システムが急速に変化して行くとき、そこに携わる人間にも急速な適応が求められます。 
 18日付SK新聞に同紙写真部長氏のコラムが載っていました。
from Editor
「便利な時代こそ貪欲に挑む」
sato










デジタルの便利さに流されることなく、貪欲に表現を追求してゆくプロ意識を持てと・・・
さすがに歴戦のプロの言葉には重みがあります。

実はこの氏とは旧知の間柄。
僕が駆け出しのカメラマンだった頃、大学の卒業アルバム制作の仕事で学生側のスタッフだった氏と出会いました。
僕はまだプロ意識など欠けらも持ちあわせず、彼もまだ1〜2年生、失礼ながら将来新聞社の写真部長にまで出世するような気配は、正直、感じられなかったものです(S君ごめん〜以後君とします)
その後、僕は広告カメラマンのアシスタントに転じ、君との付き合いは一度途絶えてしまいました。
卒業後、君は今の新聞社に入社、写真部に配属され報道カメラマンとして厳しいプロの世界で鍛え上げられ、多くの経験と実績を積んで今の地位に達したわけです。アナログ時代にカメラマンとしての基礎を確立し、今、統括責任者としてデジタル世代の指導に当たる君の決意が先のコラムとなったのでしょう。
さすが部長!僕にもお言葉しっかり届きましたよ。

さて、デジタルカメラが出張れば引っ込むのはアナログ(フィルム)カメラ。共に戦ってきた戦友のような奴です
F-3-3
いまでは全く出番の無くなった
NIKON F-3とモータードライブMD-4

四半世紀を共にして、持ち主と同じでメッキはすっかり剥げ落ちましたが、フィルムを詰めれば今すぐにでも働きます。
この立ち姿に歴戦の荒武者が醸し出す風格、威厳のようなものを感じてしまうのですが・・・
さてデジタル世代にはどう映っているのだろうか。


「時は流れない、それは積み重なる」
  〜サントリー クレスト12年(コピー:秋山 晶)

最近、あることがきっかけで、君はじめ当時学生だったメンバーと再会し、久しぶりに酒を飲む機会を得ました。もともと優秀な学生だった彼らはそれぞれの四半世紀を戦い抜いて皆、一角の人物になって良いサムライ顔になっていました。多少メッキが剥げようが「旧式」扱いされようが僕は自分のNIKON F-3を抱くように奴らの荒武者のような肩を、一人ひとり抱きしめてやりたくなる。

じゃぁ また



(13:12)

2009年02月26日

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この年末から年始にかけて、使用頻度の下がったアナログ機器をネットオークションで売り捌いてきたのはこれが欲しかったからです。
新しいデジタル一眼レフカメラNIKON D3x、ついにGetしました。
機能、性能の上がった新製品を手にするのは、いつでも嬉しく、子供に戻って抱いて寝たいくらいです・・・が
D3x
NIKON D3x
ニコンFXフォーマット
CMOSセンサー(36x24mm)
有効画素数:2,450万画素
12bit/14bit Raw
TIF, Jpeg

それにしても、実売価格約80万円!とは! 
同時購入の広角ズームレンズや周辺機器を入れてざっと100万円は楽だよ、まったく。
D3+14
D3xに取り付けた
Nikkor AF-S 14~24mmF2.8

さらに高解像度の写真データを提供出来るのも結構だが。


かつて、フィルムの時代(ついこのあいだのことだが)にもセットで100万円を越えるカメラはあったた。たとえば6x6サイズのHASSELBLADや4x5inchサイズのSINAR、Linhofといったカメラだ。そういったカメラを所有し使いこなすことが、プロフェッショナルの証しでもあった。
ただ、そういうプロ機材というものはメンテナンスをしながら10年〜20年と使い続けられる、良く手に馴染む道具であった。

昨今のデジタル革命とやらに乗せられてしまってからというもの、最新のカメラも3年目にはすっかり型落ちの旧製品となり、5年も経ったら査定額はゼロ!。減価償却も間に合わず、新機種やソフトもアップデートというサバイバル(買い物)競争を強いらる。
D3x-2ぴかぴかの新品、さてあと何年使えるのだろうか?
永い付き合いだったNIKON F3が懐かしいね

さてボヤいてばかりもいられないのでD3x君には早速働いてもらった。
ロケ地は雪の山形!
雪原に建つ一軒の「家」を撮影。これカレンダーになる予定!
yamagata

夕暮れ時の撮影で身もカメラも冷え切ったが、いつものスタッフのチームワークに助けられて良い仕事が出来た。

翌日は山形の「城」にも行ってきた。

じゃぁ また

(11:32)

2009年02月05日

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これはなんでしょうか?
・・・・・・・・・
すぐに分かった方は写真に詳しい方。
いかにも家内制手工業的な佇まいをもったこの道具は、フィルム現像用のタンクで製品名は「マスコカラータンクプロ」といって、
撮影済みのフィルムから「ネガ」を制作するときに使う道具なのである。
プロも使っている優秀な製品、日本製だ。
masuko
MuSuKo COLOR TANK PRO.
設計、製造
グラフィック・ユニット・ワン
発売元:共同写真要品(株)
135(35mm)1〜3本用
120(ブローニー)1〜2本用
特注で4〜6本用もあり


開発したのは日本の写真家夫妻。
現像液の流動現象から発生する現像ムラを抑えるため、この特殊な構造のタンクを開発したという。製品名は奥様の名に由来するそうだ。
価格は普及型の3〜5倍ほどするが、ネガ制作に失敗は許されないのでこのタンクを愛用する写真家、ハイアマチュアが多い。
ステンレス製で耐久性は抜群。僕も20年以上使い続け、手に良く馴染んだ愛着のある道具だったのでだが……。

業務の完全デジタル化と暗室の閉鎖により、この現像タンク、この度手放すことに・・・
製品の優秀さは折り紙付きなので、ネットオークションで確実に買い手は付く。
またしても去って行く、愛しのMONO達だ・・・

ではモノクロ映像が美しく写真、ネガがキーワードの「手放せない!」映画を一本!
sikei-1
・死刑台のエレベーター・
レーザーディスク版
1957年 ルイ・マル 監督作品
撮影:アンリ・ドカエ
出演:モーリス・ロネ
    ジャンヌ・モロー
    リノ・ヴァンチュラ
音楽:マイルス・デイビス

ルイ・マル監督25歳のデビュー作にして映画音楽にモダンジャズを使用する先駆けとなった作品。演奏はオリジナルクインテット解散後、渡仏中のマイルス・デイビス。
エレベーターに閉じ込められるアクシデントにより、完全犯罪が崩壊してゆく一日を追った犯罪サスペンス。
sikei-2
サウンドトラック盤
死刑台のエレベーター (LP)
マイルス・デイビス・クインテット
マイルス・デイビス(TP)
バルネ・ウィラン(TS) ルネ・ユルトルジュ(P)
ピエール・ミシェロ(B) ケニー・クラーク(Ds)
サウンドはアナログレコードで!

1957(昭和32)年頃なら、まだモノクロプリントが主流の時代。
ラストシーン。現像液の中、浮かび上がる写真!
・・刑事「写真にはネガがあるのをお忘れでしたか?」

やたらに記念撮影などするもんじゃないね!
デジタル、携帯で撮影の今ならなおさらだ。
写真からアシがつくことって・・・
あっ!あれ早めに、削除しなっくっちゃ・・

じゃ また・・・・

(18:34)

2009年01月08日

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これまでにも何度か紹介してきた、重厚長大のアナログ機々。
業務のデジタル化が進んだ結果、特に暗室作業に使っていた機材はすっかりその出番をなくしてしまった。
モノクロ(白黒)写真のフィルム現像や印画紙へのプリント作業。カメラマンのキャリアの第一歩として誰もが習得を義務づけられた必須の技術だった。(いま写真の学校では選択科目だとか)
余談ながら、モノクロプリントのことを「紙焼き」と云うとレトロながらちょっとプロっぽい響きになる。
もちろん今でも、プロの写真家やアマチュアの作品として白黒写真は存続していて、有名写真家の手による所謂オリジナルプリントは高値で取引されるいる。
僕もかつて、作品としてのモノクロを極めようと、アメリカ製の引き伸ばし機、ベセラー45MXTを購入、使用していた時期があったのだが、その後暗室を閉鎖。
さらに移転により保管場所の確保も出来なくなり、先日とうとうネットオークションに出品したのだった。
_RSC000145MXT
アメリカ、ベセラー(BESELER)社製
35ミリフィルムから4x5フィルムまで、この一台で対応出来る。同じアメリカ製の引き伸ばし機Omegaと双璧をなすプロ仕様の最高峰。出品には沢山のアクセスを頂き、同業の写真家の方に落札いただいた。
大事に使い続けてもらえそうな方に引き取られ、少しほっとした。
その他にも暗室用品を数点出品し、全て写真愛好家の方に引き取られ、全国各地へと旅立って行ったのだった。

grade




写真で一番大切な、階調(Gradation)を表現するため理解、習得したアンセル・アダムスによるゾーンシステム・・・これデジタルになっても役に立つ概念なのだが。

さて、ベセラー引き渡しのため、事務所にいらしたカメラマン氏と業界の話などでひとときを過ごして後、いよいよお別れのときが。
車に積み込まれて、去ろうとしている愛機を見送る僕の頭の中にはあるメロディーが流れていました。それは三橋三智也の「達者でな」・・・なわけないね(もう誰も知らないし!)

別れのシーンにピッタリ、そうですショパンの「別れの曲」ですね。
etudesショパン
12の練習曲作品10
12の練習曲作品25
〜マウリツィオ・ポリーニ
(ピアノ)
1972年録音、あらゆるショパンの録音の中でも最高の、名盤中の名盤と云われている。
 
その「別れの曲」は作品10の3曲目。12曲の中では比較的易しい曲とされてはいる。
ただ練習曲集(ETUDES)と云っても特定のピアノ技巧のためのもので、全体としては音大レベルの技術がなくては弾きこなせない難しい曲ばかりだそうだ。まぁ僕らは気楽に聴いてれば良いのだけど。
とにかく、名曲に送られてあのベセラーは、行って行ってしまった(ここ五木!)
さらば愛しきモノよ!
さらにショパンの「別れの曲」が印象的に使われている映画も思い出した……。
大林宣彦監督作品、しかもこれ「三部作」の一つ。これで先の「和歌山城」「御三家」で約束しておいた3シリーズへ話をもっていけるじゃないかい!

じゃぁ また

(17:09)

2008年04月11日

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Viewer 以前(と云ってもつい最近まで)は、こんな感じで作業していた。
現像所(プロラボ)で現像の済んだポジフィルムを受け取り、チェック、セレクト後、お届けして完了。
使う道具はライトボックス、ルーペ、ダーマトグラフ、あとハサミくらいかな。シンプルかつローコスト!

デジタルフォトになってからデスクトップも様変わり。
パソコンとの付き合いを強いられている。

こんな感じ。
MyMac先月、新しいMacとモニター(EIZO)導入した。周辺機々、ソフトの入れ替えなどで、100万円をオーバー、それでも数年後にはデジタルカメラともども買い換えでだろう。OSとソフトのミスマッチにも悩まされている。

「アップデートってホントに必要なのかぁ?」・・・
……デジタル信号はONとOFF。
増えるオンタイムに反比例のオフタイム・・

ONとOFFの間で、右往左往のこの頃である・……。

じゃぁ また



(18:08)

2008年03月30日

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東(横浜)が下岡蓮杖なら、西(長崎)で初代職業写真師に名乗りを上げたのが上野彦馬(1838~1904)
幕末の志士や明治の高官の肖像写真を多く残したことで、知名度としては彦馬のほうがやや上回っているかもしれない。有名な坂本龍馬の肖像などは、一度は目にしたことがあるのではなかろうか。
写真史の解説書でもかならず取り上げられる二人ではあるが、やはり歴史物語である小説の方がより親しみが湧いてくる。
ueno
------------------------------------------
・写真術師 上野彦馬・
 八幡 政男 著
 1986年  マルジュ社
幕末の長崎海軍伝習所、オランダ人医師ポンぺのもとで化学を学んでいた彦馬は写真術に出会い研究を始める。
カメラ、感光材もすべて自作しなければならなかった時代、また資料も乏しいなかで、化学の知識と持ち前の探求心で撮影術を完成させる。日本最初の写真館「上野撮影局」を開設、多くの門弟も育て写真師として大きな成功を収めるが、家庭的には葛藤もあった元祖プロカメラマンの生涯。
                ----------------------------------------------------
ueno2

・上野彦馬 歴史写真集成・
   馬場 章 編
   2006年 渡辺出版
   \2,800-

日本史、特に幕末ファン必携の写真集
彦馬自身の肖像も収録された
一級の歴史的古写真100葉

 

下岡蓮杖は絵師見習いから艱難辛苦の末、写真館開業にたどり着いた苦労人だった。対する上野彦馬は裕福な家に育ち、先進の教育も受けた知識階級の出身。両人とも自身のポートレイトを残しているが、蓮杖の怪しげな山師然とした風情に対し、彦馬にはお大尽の風格のようなものを感じる。実際、功なり名を遂げ、財も得た彦馬は実子二人のほか、家庭外に三子をもうけ、さらに本妻の妹とのあいだにも一子という奔放な生き方をしたようである。仕事に熱心で稼ぎが有ってのことだから、なんとも羨ましい大先輩だね・・とつまらないところで関心しつつ、本邦写真のパイオニアに最敬礼!

じゃぁ また

(20:31)

2008年03月28日

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「男はつらいよ」寅さんの口上に「国の始まりが大和の国なら……」
云々とあるが「写真師(プロカメラマン)の始まりは……」ときたら、
「東の蓮杖、西の彦馬」と続けなくてはならない。
幕末に東(横浜)で下岡蓮杖(れんじょう)、西(長崎)で上野彦馬がそれぞれ写真館を開業。此の二人をもって我が国、職業写真師の嚆矢としているからだ。僕たちの大先輩、本家本元ということだ。
長崎、横浜という西洋文明が早くから伝わった街に、写真術も花開いたということだろう。もちろん二人の先達の並々ならぬ奮闘努力のたまものでもあろうが。
僕の口上では湧いた興味も、あせてしまいそうなので、ここはプロの作家にまかせることにしよう。
それぞれの「写真初めて物語」(小説)をご紹介しておく。
まずは、東の下岡蓮杖(1823~1914)から
shimooka-----------------------------------------
・幕末写真師〜下岡蓮杖・
 大島昌宏 著
 1999年 学陽書房
狩野派の絵師として修行中の久之助(後の蓮杖)はある日、薩摩屋敷で目にした銀盤写真に心奪われ写真術を志す。故郷の伊豆下田で領事ハリスの通訳ヒュースケンより撮影術を、さらに横浜でアメリカ人写真師ウィルソンよりカメラを入手、暗室技術も学び、さらなる苦心の末写真館を開業する。幕末、明治を生きた初代プロカメラマンの生涯。
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下岡蓮杖は写真に絵の具で着色を施したり、絵師の経験を生かし景勝地の背景画を描いたり、外国人相手の写真館は繁盛したそうだ。
後年、石版印刷、牛乳製造、乗合馬車営業にもその開祖として手を染めたことからも、苦労人だけにアイデアマンで「山っ気」も持ち合わせていた人物のように思われる。このタイプのカメラマン、いるな!今も。

蓮杖の故郷、下田には蓮杖写真記念館があり遺品が公開されている。
ロープウェイで登る寝姿山自然公園内にあって、なんだか観光摺れした雰囲気だったが……。
さらに東京、豊島区の染井霊園(最寄り駅JR巣鴨、駒込)に蓮杖のお墓もある。本家に敬意を払ってお参りしたこともあった。ちなみに「染井」は、さくらの染井吉野ゆかりの地である。
本家、下岡蓮杖・・名前だけでも憶えていただけたら幸いだ。
彦馬についてはまた今度。

 じゃぁ また













(16:04)

2008年03月27日

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D-3
NIKON D-3
ニコン初のフルサイズセンサー
1200万画素 \578,000-
AF-S NIKKOR 14-24G ED
解放F値F2.8広角
\285,600-

レコード聴いてノスタルジーに浸ってばかりもいられない。
霞を食べて生きて行くこともなかなか難しそうなのでシャッターも押さなくては・・・
ということで頭の中をアナログから一気にデジタルへと切り替えひと仕事してきた。カタログの撮影で最新のデジタルカメラを使用。昨秋の発売以来カメラマンのあいだで高い評価を得ているNIKON D-3だ。
レンズはこれも新製品のワイドズーム(14~24mm)
対象は住宅メーカーの新商品。商品とは「家」そのもので、建築やインテリア撮影の領域である。この分野では大判の4X5サイズカメラを使うのが常道。僕も長い間そうしてきたのだが、2年ほど前にデジタルカメラに切り替えた。「もうフィルムに戻ることは出来ない」・・と云いきってみようかな。

かつて列車は石炭を燃やして蒸気機関で走っていた。その後ディーゼルから電気へ、さらにリニアモーターも実用間近だという。いま蒸気機関車(SL)を走らせるのはノスタルジーだろう。まぁそういうことだ。
D-3は良くできたカメラだと思うが、今はレンタルで使っているところだ。今秋発売が予想される時期バージョンD-3xを待っているからだ。これで「ひかり」から「のぞみ」程度の格上げが出来そうかな。フリーランスとしては、たまには急いでるフリでもしてみせないと呼んでもらえなくなるからね(結構たいへんなんだよ!)
そのD-3でどんな写真を撮ったのか見せてみろって云われても、発表前の新商品ですよ!守秘義務ってものがあってここでは紹介できないのがザンネ〜ン。
細かいスペック、使用感については巷にいろんな本が出てますのでそちらを見てね。少なくとも僕より真面目な人たちが書いてるからさ。

じゃぁ また





(16:21)

2008年01月31日

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日本写真史
・日本写真史を歩く・
 飯沢耕太郎 著
 1992年 新潮社

新潮社「芸術新潮」連載より再編集された18編の写真歴史物語。







幕末・明治編に収録の「写真館草創期〜富重利平、富重徳次」を読んで驚いた。我が郷里熊本に富重写真館という明治10(1877)年開業の写真館が有り、4代115年にわたり営業を続けているという。
特に初代の冨重利平(1837~1922)は長崎で上野彦馬に写真を学んだ人。日本の職業写真師は幕末に、西(長崎)の上野彦馬、東(横浜)の下岡蓮杖をもってその嚆矢としている。したがって富重写真館は現存する最も歴史ある写真館なのである。写真機材や撮影されたフィルム原板など貴重な資料の宝庫だという。特に西南戦争で焼け落ちる前の熊本城のガラス湿板写真が多数残っていて、天守再建時(1960年)には設計の参考にされたそうだ。
そんな歴史的な写真や機材を見てみたい、是非一度行ってみたいと思いながら年月が過ぎてしまっていた。

富重写真館^^^^^^^^^^^
 富重写真所 スタジオ跡

この度、熊本での仕事を機会に思い切って訪問してみた。対応して頂いたのは4代目当主の清治氏。
富重写真館のように同じ場所で直系の4代が130年にわたり営業を続けているというのは、世界的にも例のないことで、国内はもとより海外の写真研究家からも取材を受けることがあるのだそうだ。
僕のような「ただ、その歴史の現場に立ってみたい」、とフラリとやって来るような人間は、珍客というより迷惑千万な招かれざる客に違いない。それでも同郷の同業者ということによしみを感じて頂けたのか、お話を聞くことが出来た。
銀塩(アナログ)の「造り上げる」作品としての写真、というようなお話が印象的だった。古い撮影機材等は現在、県立美術館で保管されているそうで、拝見することは出来なかったが、写真を語る清治氏の言葉の一つひとつに職業写真師として身の引き締まる思いであった。

帰り際、「暗室を拝見したい」という不躾な申し出にも、快く応えて頂いた。そこは営業写真館の仕事場というより創造の場であり、凛とした佇まいの空間だった。よく使い込まれながらも整然と調った暗室用品、自身で工夫された道具類を拝見し、暗室を閉じてしまった我が身が情けなくなってしまった。
さらに不躾の上塗りで、「この暗室の写真を撮りたい」・・にも許可を頂いた。
清治さんは、「突然やって来て暗室の写真まで撮ったのは君が初めてだよ・・」と苦笑いだったが。
暗室の写真、さすがにここで公開するのは控えよう(実はこれもOK頂いたのだが・・)

故郷を出て以来、お国自慢などとは無縁の僕ですが、郷里にこんな同業の大先輩がいらっしゃることが誇らしくなる小旅行であった。

じゃぁ また

(19:42)

2007年10月05日

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CD
コンパクトディスクが商品化された
1982年。僕はプロの世界の片隅に
ひっそりとエントリーした。
就職して新しいスタートを切った……
とか華のあるものじゃない。なんとかもぐり込んだって感じだった。
その後CDは売り上げを伸ばし、レコードは市場から退場して行く。
その過程と僕の修業時代がピタッと重なっている。

そのスタートの年にNIKON F3を手に入れた。
いま出番は少なくなったが、まだ現役である。
四半世紀にわたり仕事を支えてくれたわけだ。
F-4、F-5さらにF-6と新機種が出てもF-3を使い続けた。
手に良くなじんだものを使い続ける選択が可能だったから。

デジタル撮影が日常化すると主役はデジタルカメラD2Xになり、
すぐにマイナーチェンジ版D2Xsに変わった。
パソコン周辺機器としてのアップデートだ。この間わずか2年。
来年はまたアップだろう。
アップデートとは次の試作品を押しつけられることなのだな。
(左F-3 右D-2Xs)
F3-D3x
とはいえカメラの機能、性能がアップして行くのは歓迎だ。CDやi-Podの利便性も享受している。
ただ、手に馴染むまで使い続けるという選択は出来なくなってしまった。

……「手に良く馴染んだ道具」をあやつる職人技には心惹かれる。
職人の手つき、物腰を見るのはいつも楽しい。
針を上げ下げしてレコードで音楽を聴いたり、F-3を手に手動でピントや
露出を合わせながら職人の気分だけ味わっているこの頃である。

F3アップ

Nikon F-3とモータードライブMD-4
(持ち主共々、メッキはすっかりはげてしまった……)

じゃぁ また

(22:21)

2007年10月01日

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 ポールサイモンのソロアルバム第2作(1973年)もよく聴いた。
A面一曲目、「僕のコダクローム」(kodachrome)がヒット。
当時はなんとなく写真とフィルムのことを唄っているのだなぁ……
という印象だったのだが、後にこのコダクロームが仕事上なくては
ならない存在になる。
歌詞のように僕はNikon(ナイコンと発音)のカメラで写真を撮ることになった。
常用はコダクローム25(KM:ISO25).のちにプロ仕様のPKM。
低感度のためシャッター速度、絞りに自由度が少なく、増減感現像も出来ないので、
撮影にはより多くの集中力が必要だった。

コダクローム










そのコダクロームがいよいよ販売終了となり、今年12月で国内での現像
は出来なくなる。(当然ながら)大幅な需要の落ち込みがその理由。

僕も仕事の変化(デジタル化)で、ここ10年ほど使用しなくなっていた。
NikonもデジタルカメラD3という新機種を発表した。
北京オリンピックを見据えた報道仕様が先発、来春には高画素バージョン
(2000万画素以上・・予想)の発売となるのだろう。
少なくともプロの現場において、35ミリポジフィルムはその役割を
終えようとしています。時の流れというものだろう。

カメラとフィルムについての印象的な文章、たしか村上 龍だったな……
と捜してみると、見つかった。
「ラッフルズホテル」
もう内容はほとんど忘れてしまっていたが、
村上龍は、ヒロインの女優に「観客もヴィデオも怖くない・・」と語らせた後、
〜「三十五ミリのフィルムをパックしたカメラだけが恐ろしいし、美しい。」
・・と云わせている。
この一行はずっと記憶に残っていたはずなのに、「フィルム」の部分を
勝手に「コダクローム」だったと思い違いしていた。
原文にフィルムの銘柄の表記はなかったのだ。

「ラッフルズホテル」を文庫本で読んだのが1992年。
僕自身がまだコダクロームに深い愛情を持っていた頃の話である。

じゃぁ また

(17:52)