2016年09月22日
さて三日目最後の一日だ。
昔はひと月ふた月単位で旅していたけど
今じゃ二泊三日なのが、大人の事情である!
私が知床のウトロでアルバイトしながら夏を過ごしたのは
もう30数年も昔のことで、19,20歳と23歳の年、3シーズンだ。
そのころこの知床横断道路はまだなかった。
その後は、懐かしの町を当時の面影をたどって歩き回った。
ただ、当時お世話になった一家は移転してしまっていて、
風の便りの話が少し聞けただけ、というやや寂しい結末ではあった。
でも気を取り直して
最終目的地の網走へ向かう。

なんかその昔もやった定番の記念撮影をして
網走市の郊外、網走湖畔の町、「呼人」を訪ねる。
ここに一番会いたかった人がいたのだが、その方は
昨年お亡くなりになったことを聞いていた。
これも記憶をたどりつつ、また人に訊ねながら行ってみると
昔はひと月ふた月単位で旅していたけど
今じゃ二泊三日なのが、大人の事情である!
私が知床のウトロでアルバイトしながら夏を過ごしたのは
もう30数年も昔のことで、19,20歳と23歳の年、3シーズンだ。
そのころこの知床横断道路はまだなかった。
灯台へ向かう道路の入口を、記憶をたどりながら探したのだが
どうしても見付からない。
二三度往復するうちに、ハタと気付いたのだが
今はここに立派なビジターセンター「知床自然センター」が建っていて
そこから遊歩道が整備されていたのだ!駐車スペースもある。
そうだ、知床国立公園はいまや世界遺産指定だったなぁ、と改めて感心する始末。
どうしても見付からない。
二三度往復するうちに、ハタと気付いたのだが
今はここに立派なビジターセンター「知床自然センター」が建っていて
そこから遊歩道が整備されていたのだ!駐車スペースもある。
そうだ、知床国立公園はいまや世界遺産指定だったなぁ、と改めて感心する始末。

その後は、懐かしの町を当時の面影をたどって歩き回った。
ただ、当時お世話になった一家は移転してしまっていて、
風の便りの話が少し聞けただけ、というやや寂しい結末ではあった。
でも気を取り直して
最終目的地の網走へ向かう。

なんかその昔もやった定番の記念撮影をして
網走市の郊外、網走湖畔の町、「呼人」を訪ねる。
ここに一番会いたかった人がいたのだが、その方は
昨年お亡くなりになったことを聞いていた。
これも記憶をたどりつつ、また人に訊ねながら行ってみると
その方の甥御さんという方に会うことができた。
網走湖で漁をしておられるのだが、話し方が穏やかで面影があって
なんだがとても癒される思いであった。
ここから女満別空港はもうすぐだ。
これも昔は東京への直行便はなく、TDAで札幌経由で帰ったものだ。
今回は勿論直行である。
あっという間の三日間だったが、来て良かった。
あの頃は東京から夜行で青森へ、青函連絡船で函館を経て
札幌。そこからさらに各地へさらにもう一日かけて移動したものだ。
空路使えば案外近いんだな・・なんだそうか!
しかもLCCもあるしね、また来よう。
あらためてそう思う初秋の旅であった。
じゃあ またね〜
網走湖で漁をしておられるのだが、話し方が穏やかで面影があって
なんだがとても癒される思いであった。
ここから女満別空港はもうすぐだ。
これも昔は東京への直行便はなく、TDAで札幌経由で帰ったものだ。
今回は勿論直行である。
あっという間の三日間だったが、来て良かった。
あの頃は東京から夜行で青森へ、青函連絡船で函館を経て
札幌。そこからさらに各地へさらにもう一日かけて移動したものだ。
空路使えば案外近いんだな・・なんだそうか!
しかもLCCもあるしね、また来よう。
あらためてそう思う初秋の旅であった。
じゃあ またね〜
(23:00)