2010年08月29日

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ボブ・ディラン 2

ディランに付いてもう一項を追加してみたい。
(前回の)Playback3で「結局よく分からない・・」と結論したにもかかわらず・・である。誰も読まない隠れブログ故、勝手にやらせて頂く。

「転がる石のように」などというタイトルに16~7歳の少年(僕=餓鬼)は随分とドキドキさせられたものだ。曲の方は自立や放浪、反抗などを直截に煽ると云う内容でもないのだが、勝手にそういう雰囲気で捉えて、一人ときめいていた。
実のところは、レコード会社や音楽ジャーナリズムによって創り出された「ディラン伝説・神話」といったものに乗せられ、たわいなく転がされていたに過ぎない。
A rolling stone gathers no moss. 〜「転石苔を生ぜず」という云い方もその頃知った。「常に活発に動いていればいつまでも新鮮だ」・・・と
その後、上京してからはアルバイトと旅に明け暮れ、カメラマン稼業に落ち着くまで6年間も転がってしまった。
「転石〜」にはもうひとつ「職を転々と変える人間は大成しない」の意もあって、こちらの方が文句なしに正しかった訳だが後の祭りである。

さて、そのLike a Rolling Stoneは6枚目のアルバム、HIGHWAY 61 REVISITEDのA面一曲目に入っている。エレキギターに持ち替えフォークロックヘ転向したことで物議を醸した時期の三枚のアルバムのひとつだ。
folkrock
其の三枚とは
左:Bringing It All Back Home(1965)
右:HIGHTWAY 61 REVISITED(1965)
中:BLOND ON BLOND (1966)

ディランの代表作というばかりでなくロックの傑作として必ず挙げられるアルバムだ。「フォークロックとは?」と尋ねられたらこの辺を聴いてもらえば良く、リズム、メロディーとも分かり易い曲が並んでいる。
66年の2枚組 BLOND ON BLOND(写真中央) は特に良く聴いたレコードで、後にCDでも改めて買い直した。
ちなみにNHK-BSで放送され中高年を驚喜させた「BSフォーク大全集」のオープニングテーマに使われた I Want Youはこのアルバムに入っている。よくぞこれを使ってくれた!
個人的にも「若気の至り」満載の二十代を振り返ってみるときのBGMにピタッと来るサウンドである。
歌詞は今もって良く分からんが、とっても好きな良い曲ばかり・・・
と人生の坂道を転がり落ちながらも手放せない。
今夜もレコード回しては「思い出し赤面」している石ころのようなカメラマンの青春の淡い光である!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ついでながら
ndhNO DIRECTION HOME
     〜 BOB DYLAN
(DVD)
マーティン・スコセッシ監督作品
生い立ちからデビュー、そして1966年ポップスターに上り詰めるまでを、ディラン自身および関係者のインタビュー、多数の未発表を含む記録映像でたどったドキュメンタリー(2005年)

僕は伝説の1962~66年をリアルタイムで聴いていたわけではなく、後追いの追っかけ組だ。(74年のライブ盤以降が生ディランとなる)
ディラン伝説ってどこまでホントなんだよってずっと思ってました。
が、2007年に出たこのDVDを観てなるほどそうだったのか!と
30年経ってやっとスキッリしたのです。
今じゃ、詩人としてノーベル文学賞候補の噂も囁かれるディランさん!
訳分からんがまた、転がされそう・・かも

じゃぁ また



















(18:26)

2010年07月16日

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彦根藩といえば徳川譜代の大名、井伊家ということですが・・
井伊といえば、幕末雪の桜田門で暗殺される井伊直弼が有名です。
その直弼が青年時代を過ごした「埋木舎」という屋敷が残っています。
hikone3

hikone4埋 木 舎(うもれぎのや)
彦根藩主の第14子として生まれた直弼が32歳まで不遇の時を過ごした屋敷。自身世に出ることもない埋もれ木として自虐的に命名しながらも文武両道の修練を積んだところです。
後の参謀、懐刀の長野主善との出会いもこの屋敷でした。

直弼、主善ともに日本開国に向けて奔走した開明派として再評価もされているようですが、「安政の大獄」という弾圧の暗いイメージはどこまでもついて廻ります。さらに女密偵村山たか絡みの三角関係となると益々景色が悪くなるようで・・・・
hanano
花の生涯 上下
船橋聖一  講談社
1952~53年毎日新聞に連載。
井伊直弼の埋木舎での下積み時代から、藩主、大老就任、安政の大獄を経て桜田門外の変で暗殺されるまでの生涯を描く。
直弼に参謀主善、密偵村山たかが絡む歴史ロマン。
1963年NHK大河ドラマの第一作に選ばれた作品。



「歴史ロマン」と云えば何だか聞こえは良いのですが、三角関係の澱んだ雰囲気に疲れます。
大家の作品も今となっては、視点に古臭さを感じますし、特に現代の女性には受け入れ難い作品ではないでしょうか。
それならば、たか女を通した現代女性の視点で直弼を見直してみたら目から鱗がポロリと落ちるかと思って、諸田玲子の「奸婦にあらず」を読んでみたのですが・・・・・
Kanpu
奸婦にあらず 〜諸田玲子 
2006年 日本経済新聞社
2007年 新田次郎文学賞受賞作
密偵村山たかを描いた作品なので、たか女の出自がより精細に、かつミステリー仕立てになっていて引き込まれます。多賀大社など近江の名所もいきいきと描かれています。
「笠雲」「其の一日」の諸田作品ということで、大いに期待したのですが・・・・


やはり歯切れの悪い、幕末メロドラマになってしまっていて(それはそれで結構なのですが)所詮、直弼は直弼だなぁ、素材が悪いよとため息ひとつ。
(僕はどうもメロドラマが苦手のようですが・・)幕末の志士達に比べて格好悪すぎますって。

hikone5
藩祖 井伊直政像
(JR彦根駅前)
結局のところ
彦根の町が駅前に銅像まで建てて祭り上げ、全国の皆さんに知ってもらいたいのは、桜田門で首を取られてしまう独善と弾圧、好色な直弼よりも、藩祖にして勇猛な戦国武将の井伊直政の方なんだなぁ・・
と改めて納得するのでした。ただ
武者ぶりはいいけど知名度がねぇ!
なかなかうまく行かないものです。


じゃぁ また


(19:20)

2010年07月01日

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関西圏への出張ではいつも、新幹線「のぞみ」で素通りしていた滋賀県でしたが、昨年、撮影で訪れて以来すっかり近江路のファンになってしまいました。
今回も草津市で撮影終了後、以前なら京都へ戻って「のぞみ」で真っ直ぐ帰京するところを、琵琶湖線の彦根で途中下車。
姫路城につづいて国宝彦根城に登って来ました。訪問は二度目です。
hikone1
彦根城 : (現存)天守 : 滋賀県彦根市金亀町1-1
築城:1622年(元和8年)
築城主:井伊直継    別名:金亀城:

徳川四天王の一人井伊直政が関ヶ原の軍功により18万国で近江沢山城に入城。
その後直継の代に沢山や大津など近隣の城郭を破壊して
その資材を使い、琵琶湖畔彦根山に築城。
天守は昭和27年国宝指定、姫路、松本、犬山と共に国宝四城のひとつ。
西の丸、二の丸、太鼓門、天秤の各櫓も現存の重要文化財。

「司馬遼太郎と城を歩く」彦根城編で取り上げられたのは安土城編と同じ「街道をゆく」No.24近江散歩

oumi司馬遼太郎は、関ヶ原での井伊直政の戦功、近江入国後の井伊家の治世、彦根城築城の経緯を語り、実際に琵琶湖の湖水越しに見た天守の美しさに感動し、近江建築の理想的な結晶体と褒めています。
僕も数年ぶりに彦根城に来てみて、平山城全体の佇まい、天守や櫓の持つ本物の美しさに改めて感動しました。相変わらず静かな彦根の町を歩き、関ヶ原の勝者も幕末維新の敗者となる歴史の因果を思いながら、寄り道の近江散歩でした。

hikone2

実は新幹線の車窓から遠景ながら彦根城は見えます。(最近知りました!)
安土城の安土山など車窓から眺める近江路の風景が以前と違ってとても身近に感じられるようになりました。
井伊家15代藩主、井伊直弼の「埋木舎」(うもれぎのや)にも寄ったので次回ご報告しましょう。

じゃぁ また

(20:03)

2010年06月19日

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先日、ほぼ3年ぶりに撮影現場に6x6判カメラ、ハッセルブラッドを持ち込みました。
オヤ珍しい、フィルムで撮影?・・・ではなくて
ハッセル自身が被写体、小道具のカメラとしての貸し出しだったのです。
_DSC0042
右:HASSELBLAD
   500CM

左:HASSELBLAD
   553ELX


レンズ:CARL ZEISS
Planar80mmF2.8
Planar 100mmF3.5



ブローニー(120)タイプのフィルムを使う中判カメラの定番中の定番。
世界中で使われてきたスウェーデン製の名機です。
レンズはドイツの名玉、カールツァイス社製プラナーやゾナー。
高価なカメラの代名詞でもあり、基本の500CM(写真右のセット)の正規輸入品は1982年当時、50数万円でした。

中判カメラは国産品も勿論何種類かあるのですが、ハッセルブラッドを所有し使いこなすことが広告・出版の世界で写真を撮るプロフェッショナルの証、といった暗黙の了解があったのも事実。
駆け出しの頃は、現場での箔付けに仲間同士で貸し借りしたものです。
(国産B社、M社製をプアマンズハッセルなんて憎まれ口も・・・)
また何年もかけて少しずつレンズやパーツを買い足してもきました。

やっと体裁がついた僕のセットでしたが・・・↓
_DSC0039


デジタル撮影に移行してからは、デジタル一眼レフカメラ(DSLR)がメインになって、出番がなくなってしまいました。
それで、久々の出番が先の小道具扱いです〜(アンティークか!)

ハッセルブラッド(Vivtor Hasselblad)社はデジタル関連製品も時代に先駆けて開発、発売していて今でもプロ御用達カメラであることに変わりはありません(ホントは買ってみたい)

ただちょっと、ますます(法外に)高価になってまして
カメラ本体とデジタルバックで数百万円の世界じゃ、おいそれと手は出ませんね!しかも2~3年でアップデートの買い換えじゃぁ、減価償却すら出来ませんって。
(アナログ時代は20年かけて元を取れば良かったのです)

さらに中古市場ではフィルム6x6判ハッセルの値は下がる一方で、まともな値は付きません。
まだまだいい調子で現役続行も可能なのに、機材棚でケースごと行き場をなくしてる歴戦の友、ハッセルブラッドよ・・
老兵は死なず、ただ・・・・え〜(涙)

じゃぁ また


(17:24)

2010年05月04日

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いつもの「ゆくアナログ」と「来るデジタル」に反して今日届いたのは小さなアナログの部品。ネットオークションで見つけた中古品です。
何に使うものかお分かりでしょうか?
lifter

これが壊れてしまい、しばらく不便な思いをしていました。
これはアームリフターといって、レコードプレイヤーの部品です。
カートリッジ(針)を取り付けたトーンアームを支えて、針の上げ下げに使います。
レコードと針の位置を合わせて、レバーを下げるとリフターが油圧でゆっくりと下降し、針を真っ直ぐに降ろせます。演奏が終わったら真っ直ぐに持ち上げることが出来るという原理も簡単、構造も至ってシンプルな道具なのです。とは云えこれがないと、すべてを指先の感覚だけで操作することになり、特に気分の良い「酒気帯び」状態の時など手元が狂ってちょっと危険なことになってしまいます。

_RSX0024・・・・・・・・・・・・・
パーツを取り替えながら、
もう30年も使っているレコードプレイヤー(DENON製)
アームリフターなどはもともと個別に売られている部品ではなく、メーカー保証も遙か昔に終了・・・ですがそこは拘りのマニアの生息するオーディオの世界。オークションには旧製品はもとより細々したパーツまで出品されています。まめにチェック、そして気長に探して見つけました。(これジャンク品から部品取りしたものでしょう)
早速取り付けました。
・・・・・・・・・・・・・・


ターンテーブル(モーター)やアーム、キャビネットなど関連パーツも多数出品されていてまだまだあと10年以上メンテナンス出来そうです。
ソフト(LPレコード)もネット市場であらゆるジャンルのものが揃います。
仕事の写真の方がすっかりデジタル化してしまったので、遊びはアナログでバランスとってます。
回転するレコード眺めてると、気持ちにゆとりが生まれるんですよ!・・・・・・・
わかるかなぁ・・わかんないだろーなぁ Yeh〜

じゃぁ  また

(16:50)

2010年04月16日

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今回は、国宝にして世界遺産、城のなかの城、姫路城です。
勝手に、また適当に始めた「城を歩く」シリーズなので、内容、完成度については、何の義務や責任も負っていないのですが、意地か見栄かこだわりか、やはりこの城を外しては点睛を欠く様な気がしていました。
で、うまい具合に関西で撮影があったので姫路まで足を伸ばしました。
もう4月の半ばを過ぎたというのに桜が満開で、
絵はがき風に撮ることが出来ました!

_RSS0016
姫路城 (現存)天守 : 兵庫県姫路市本町68番地
別名:白鷺城
築城:慶長14(1609)年
築城主:池田輝政
_RSS0043

「司馬遼太郎と城を歩く」で取り上げられた作品は「播磨灘物語」
harima

姫路城が現在のような壮麗な姿に改修されたのは、関ヶ原の後、徳川系の池田輝政の入城後のこと。
それでも姫路城は豊臣秀吉の天下取りの足場となった城(1580年入城)、出世城としても有名。その秀吉の名参謀だったのが黒田官兵衛。秀吉も家康も畏怖した戦国武将・官兵衛の物語。有岡城に幽閉された日の「藤の花房」の逸話に感動です。

姫路城は昨2009年10月より5年をかけて大規模改修工事(平成の大修理)が進行中で、現在天守の内部へは入れなくなっています。
さらにこの後、「素屋根」という囲いで天守全体が覆われてしまい、
2014年まで見ることが出来なくなってしまうのです。
実は姫路城へ来たのは二度目、前回天守の内部までじっくりと見たのですが、写真を撮っていなかったのでちょっと慌てて駆けつけたという次第。すでにクレーンが立ち上がっていてギリギリセーフでした!
来て良かった!改めていいもの見せていただきました。


黒田如水(官兵衛)については
例によって

josui学研歴史群像シリーズ38
「黒田如水」

〜天下取りを演出した希代の軍師

「黒田如水」
吉川英治歴史時代文庫44
講談社


で、官兵衛ゆかりのとなり町にも立ち寄りました
次回ご報告です

じゃぁ また




(20:12)

2010年04月04日

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ボブ・ディラン
dylan

レコード棚にディランのアルバムがデビュー作『BOB DYLAN』(1962年)から順番に'80年代始め頃のものまで20数枚並んでいる。
最初の4枚はフォークシンガー時代のもので、『時代は変わる』THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN' は第3作に当たる。プロテストソングと呼ばれる政治、社会的抗議のメッセージを込めた歌が並ぶ代表作で、ジャケット写真もなかなか渋い。

生ギターいっぽんと自分の声だけで、戦争とか社会的不正を告発するというスタイルに、16歳の少年だった私の心はいとも簡単に揺さぶられたのだった。
『時代は変わる』は、1963年の発表だから、リアルタイムで聴いたわけではない。遡って買い求めた訳だが、ディラン自身はとっくにエレキギターに持ちかえてロックをやっていた。そのロック転向のストーリーも散々語り尽くされているが、当時は少年をもう一度奮い立たせるほど刺激的情報だった。

今にして思えば、商売でやってるレコード会社の広報、宣伝にコロッと乗せられたわけたが、難しい単語が並び、暗喩が多いというディランの歌詞がスルスルと理解出来るはずもない。
歌詞カードと翻訳を見ながら、時には辞書を片手に、分かったつもりになるしかなく、どこか落ち着きが悪かったのが本当のところだ。

先日ディランが9年ぶりに来日したが今回はパスしてしまった。個人的に
to do的な優先順位が下がってしまったのは否めない。
9年前東京フォーラムでのコンサートの最中、うるんだ視線をステージに向けながら熱狂する、同世代のおじさん達の横顔をチラッと盗み見てしまった瞬間、気持ちがスーッと醒めた状態に落ちてしまった。「あ!分かったふりだ、やっぱりな!」と思ってしまったからだ……。

親しい言語とはいえ英語は自分にとっては、日常生活で使うことのない他国の言葉だ。
毎日使っている日本語でさえ歌の文句にはよく分からない表現が多い。
音楽はただ感じ取れば良いともいうが、ディランをして詩人だとか、ロックに知性を与えたという評価を支持するのなら矛盾が生じる。
いまでも時々ディランのレコードを回しているのだが、相変わらず靴の上から足を掻くようなもどかしさが残る、と云うのが正直なところだ。

Do you speak English ?
そこのディラン通、如何?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やはり母国語は有り難い。最近はディランの「時代は変わる」よりも中島みゆきの「時代」を徳永英明のカバーで聴く方がグッとくるもんなぁ・・・と正直に云えるもんね!
たしかに時代は変わるし、自分も変わります。

じゃぁ また

(18:47)

2010年03月31日

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サイモン&ガーファンクル
S&G-1

シングル(EP)盤でヒット曲を追いかけることを卒業し、アルバム単位、作品としての音楽を意識するようになった一枚。
「明日に架ける橋」とはA面一曲目のタイトル曲というより、アルバム全体、ひと纏まり11曲を指す。

このアルバムの音を聴き、ジャケットを眺めることで、学校では習わない幾つかの英単語を覚えたし、ポール・サイモンが小柄な男だったり、フランク・ロイド・ライトが建築家だったり、ニューヨークの街路はアベニューとストリートからなるというようなことを知った。
ちょっと大袈裟な盛り上がりの「明日に架ける橋」や同じくヒット曲の
「コンドルは飛んで行く」などより、「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」「ソング・フォー・ジ・アスキング」そして「ニューヨークの少年」といった佳作に惹かれた。
遠いニューヨークという街に行ってみたいと思い、後年それが実現したときはウォークマンで聴きながら歩いた。(・・過去ログ)

今、針を落として、アナログサウンドを聴きながら、
手に入れてから今日までを指折り数えて、あらためて驚いた。
そろそろ40年近い歳月が経とうとしている。
上京、移転、そして何よりCDの普及といった大きな転機にも、一度も手放さず、手の届くところに置いてきた。
数え切れないくらいのモノを手に入れては失ってきたというのに。
少年の頃なら真っ直ぐに「タ・カ・ラ・モ・ノ 」と呼べたかも。

今はもう、人前で聴くのは気恥ずかしく、ちょっとくたびれたジャケットが愛おしく、胸の上の方、ちょうど鎖骨のあたりがムズムズっとするだけだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

S&G2
SIMON & GARFUNKEL'S
GREATEST HITS II
 CBS (LP)
’71年「明日に架ける橋」に続いて出たこの日本編集のベストアルバムも良く聴いた一枚。ここから遡って過去の4作も揃えた。




S&G-2
CDでもひと通り揃っていて
「やっぱ便利だよなぁ・・」
とか云いながらこっそりとオフィスや車の中で聴いてます。
時々ですけど・・・・

じゃぁ また


(19:09)

2010年03月29日

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ハーブ・アルパート&ティファナブラス

中学生になった頃、洋楽を聴くようになった。
これはラジオの深夜放送の影響が大きい・・というよりそれが全てと云っていい。
音楽はいつも遠いところから電波に乗って運ばれてきて小さなトランジスタラジオを鳴らした。

そんなある日、これはテレビCMのバックに流れた曲に惹き付けられた。
確かローヤルゼリーの広告だったはずで、軽快でなんだか元気が湧いて来るような、今思えばまさに健康食品の広告に相応しい、そんな曲だった。
後日その曲は A Taste of Honey(蜜の味)だと知る。(なるほど!)
演奏していたのはハーブ・アルパート と ティファナブラス

住んでいた小さな町では手に入らない「蜜の味」を求め、大きな町へ
レコードを買いに行った。
EPと云っていたシングル盤とさらに同曲の入ったコンパクト盤も一緒に買った。
(結構無理したと思う)
HA-2

コンパクト盤とは17cmサイズで33回転
4曲ほど入った
ミニアルバムのこと
シングル  400円
コンパクト 600円
1969~70年



家へ帰って、当時はポータブル電蓄で聴いたはずで、いつもはラジオから流れそのまま消えてしまう音楽というものを手に入れ、何度でも繰り返して聴ける喜びを感じたに違いない(今もそうだから)

そしてもう一枚のコンパクト盤に針を落として、最初に出たサウンドに飛び上がらんばかりに驚いた。
その時はまだ曲のタイトルを知らなかった深夜放送オールナイトニッポンのテーマ曲、今や誰もが知っているあの曲、
ビタースイート・サンバ(Bittersweet Samba)だったのだから。

知らないことばかりの中学生は、この偶然の大発見に狂喜乱舞したといっていい。
あの瞬間の驚きと喜びというものには、その後そう何度も出会ってはいないだろう。

時が過ぎ、もっと甘い「蜜の味」を求めた訳ではないが、とにかく一番大きい町へ出た。
若気の至り、斜に構えてジャズなど聴き漁りながら、知らなくても良いことばかり知ってしまった頃、ハーブ・アルパートが再び現れた。
今度は16ビートに乗った、フュージョンと呼ばれるタイプの曲だった。
CMにも使われ話題になったが、心が大きく動くことはなかった。
HA-4

RISE1979年

Beyond1980年

A&M
アルファレコード/LP




さらに時が過ぎ最近、三度目に手に入れたハーブ・アルパートは、
CDで再発されたティファナブラス第4作目のアルバム
Whipped Cream & Other Delights
 もちろんあの「蜜の味」も「オールナイト・・」も入っている。
最新のデジタル技術でリマスターされクリアになった音で聴く昔のティファナサウンド。
夢心地で聴いていると、あの頃の、中学生のままの自分が見えてくる。
聴き終わり、静けさの中でまた想う、「蜜の味」などそう簡単には味わえない日々の暮らしには、そのほろ苦いサンバというタイトルの方が似合っていると。
HA-3
WHIPPED CREAM
& OTHER DELIGHTS

「蜜の味
〜ビタースイートサンバ」
オリジナル1965年4月
リマスター2005年8月
キングレコード
紙ジャケット仕様CD




・・・・・・・・・・・・・・・・・・

A&Mレコードの創始者、インテリで芸術家で秀でたビジネスマンでもあるハーブ・アルパートは、いまも変わらず活躍中である。
あやかりたいものです。

んじゃ また


















(18:05)

2010年03月11日

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城や歴史もの、ちょっと理屈っぽいお話が続いてしまいました。
仕事も一段落したし、スカッと行きたいなぁ・・と思っていたところへ一枚のチケットがヒラヒラと舞い降りてきたのでした。
発売開始2時間でSoldOut !となったプラチナチケット、AC/DCの日本公演(Black Ice Tour)、しかもほぼ最前列辺りのピカピカチケットです〜!!

AC/DCについてはこちら

ACDC-1AC/DC〜Black Ice
2008年Sony Music
全作から9年ぶりの新作、現在ワールドツアー進行中
Black Ice Tour
2008〜2010

2010年3月12日
さいたまスーパーアリーナ S席チケット 


10日ほど前のこと、あるコンサート友達から、急に行けなくなった人の分を2枚譲るとのオファーがあったのでした。
AC/DCの来日は小耳に挟んではいたものの、最近はまず行かないタイプのライブです。
ただスケジュールはOKだし、 会場のさいたまスーパーアリーナってまだ一度も行ったことないし、じゃぁってことで決めました。
実はその友人と云うのは、息子のピアノの先生!(友人にレッスンをお願いした・・)なのです。
この先生、なかなか由緒正しきお方でして(詳細は秘す)、クラシックには名器ベーゼンドルファーをかき鳴らしつつも、JAZZフュージョンギターのパット・メセニーを追っかけ、しかも年季の入ったハードロックファン。
さらにさらに(週刊誌風に云えば・・)妙齢の美人ピアノ教師ってことになる(云ってシマッタ・・・)そりゃぁ、行くしかないでしょ!!

で、行くと決めたら、もうひたすら聴き込むべし、観るべし!
ACDC-2

BACK IN BLACK〜1980年
FOR THOSE ABOUT TO ROCK〜1981年
Back in Blackはマイケル・ジャクソン「スリラー」に次いで世界で2番目に売れたCDとは、もう語り尽くされたRock 史に残る名盤。
極めつけは
AC/DC LIVE AT DONINGTON(DVD)
イギリス、キャッスル・ドニントンパークで毎年開催されていた「モンスターズ・オブ・ロックフェスティバル」での1991年のライブ映像・・・フットボールの国で10万人のアングロサクソンが全員「たてのり」でひしめき合ってます。凄〜い。
・・えっ ビビったかって?なかなかのものです!
たいしたものではありますが、これは我が浦和レッズ、ゴール裏のたてノリの七〜八割程度と視ました。ゴールの瞬間はさらに爆発するしね。
久々に単純明快なハードロックコンサートへの参戦です。
難しいことは抜きにして、「ライト兄弟は空を飛び、ヤング兄弟はリフを刻む!」ことだけ分かっていれば良いのでは。 
昔パープルやツェッペリン時代に付けた基礎体力とゴール裏のたてノリ感覚で十分対応出来ると思ってます。

ライブセットの約20曲もすっかりチェック完了、あとは明日を待つばかりです。
コンサートの報告は後日・・・しません(面倒だし)
勝手に楽しんで来ま〜す。

じゃぁ また ロケンロー!!




(02:54)

2010年02月28日

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僕も折りに触れ眺めている学研の「歴史群像シリーズ」
まず何と云ってもその顔と云うべきカバーが秀逸です。筆書きの題字と英傑のイラストレーションが、読者を歴史探訪へと誘います。この雰囲気に呑まれてレコードやCDのようにジャケ買いしてしまったという歴史愛好の方も多いことでしょう。
そのカバーに印象的なイラストレーションを提供していたのが毛利 彰さんでした。毛利さんの臨場感あふれるイラストがこのシリーズの人気に大きく貢献していることは疑いの余地もありません。
                      毛利彰についはこちらrekisi

今回、この書き込みにあたって検索してみると・・・
なんと一昨年(2008年)4月「郷里鳥取の病院で呼吸不全のため死去」とあって驚きました。長く入院されていたのでしょうか。
実はかつて、僅かながら毛利さんと面識がありました。二十数年前のことです。
僕が写真の世界に入って最初に付いたカメラマン西田氏(最初の師匠)のさらに仕事上の先輩だった方です。(僕などは気安く口をきける立場じゃなかったです)

当時毛利さんはイラストの下絵用に、資料として甲冑などの写真撮影をされていました。時には毛利さん自ら鎧や兜を着けて、師匠が撮影するということがありました。群像シリーズの中にも下絵や原画を拝見したものが何点かあります。

で、これはちょっと苦い思い出になりますが、当時プロ意識の欠けらもない半人前(以下)の助手だった僕は、その毛利さんの資料撮影の当日、寝坊してしまう(それも電話で起こされる)という大失態を演じてしまったのです。血の気も引きましたね。
とるものもとりあえず撮影場所の原宿スタジオへダッシュしました。
もう消え入りたいような思いと、大目玉を食らうのを覚悟でスタジオへ入ってゆくと、師匠も毛利さんも、苦笑いで多くは語らず、次々に仕事の指示を与えて下さいました。
居場所を造って頂いた感じが今でも忘れられません。
撮影終了後、三人で原宿竹下通りの喫茶店で珈琲を飲みましたが、最後まで遅刻についてのお咎めはありませんでした。

その後独立して助手やスタッフを使う立場になってからはこの時の経験で、本人が十分に自覚、反省し、申し訳なく思っているところを、あえて鞭打つような叱責は、とくに衆目のある所では、しないよう心がけました。現場の雰囲気も悪くなりますから。どうしても必要な時は、後で冷静に諭すほうがいいと。(時々忘れそーになります)

あれから四半世紀、
師匠の西田氏は三年前、病を得て他界し、今回また毛利さんの逝去を知りました。遅刻の思い出、原宿スタジオも一昨年、ビルの老朽化により閉鎖されました。確実に時は過ぎてゆきます。
短い時間の中で、お二人にとても多くのことを教えて頂いたことを感謝し、改めてご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。

先輩方、僕にはもう少し時間が必要です、たぶん記録にも記憶にもまして歴史には残らない人生かもしれませんが、まぁ顔上げて歩いて行こうかな・・・と思ってます。
お守り下さいませ!

じゃぁ また


(15:45)

2010年02月13日

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五稜郭からさらに3〜4Km内陸部(北)へ上がった位置にもう一つ城跡があります。
知る人ぞ知る四稜郭。今回やっと見に行くことが出来ました。

星形で五つの突起部を持つ五稜郭に対してこちらは方形で突出部が四つのためその名があります。明治2年、箱館戦争の際、旧幕府軍が五稜郭支援のため急造した洋式城郭。現在も遺構、土塁が残っていて国の史跡指定。
公園となっていますが五稜郭と違って観光客はまずやってこないところ、乗ったタクシーの運転手さんも初めて来たとのことでしたが、チラッと一目見てさっさと運転席へ戻ってしまいました(寒いし)

このように希に城好き、歴史好き、のなかでも特に物好きな輩がぽつりぽつりと出没する程度の城跡です。人っ気もなく夏場などはなかなか良さそうな場所ではありますが、今回は真冬の雪景色、しかも夕暮れ時でしたので、だいたいの規模、土塁の高さ、そして何より函館湾や五稜郭からの距離感などを体感、確認して夜の函館の町へと引き上げました。
一応データを記しておきます。
Hakodate2
四稜郭 : 北海道函館市陣川町59
築城:1869(明治2)年
築城主:旧幕府軍
設計は陸軍奉行大鳥圭介との説あり。
4月に2週間で急造するも5月新政府軍の攻撃で陥落。五稜郭も開城され箱館戦争終結へ。

このような歴史上の事件、人物ゆかりの地を訪ねる時に重宝するのが
「歴史群像シリーズ」〜学研ですね。記事の内容は云うまでもなく、豊富な写真、図版、特に折り込み式の年表や地図など、さすが「学習」&「科学」の学研。付録感覚がお買い得感をそそります。
僕ら素人には無敵の参考書です。全〜部欲し〜です。
akahon土方、五稜郭関係の
下調べにと2冊引っ張り出したのが
No.58 土方歳三
熱情の士道、冷徹の剣
No.56幕末剣心伝
青き志と
 赤き血潮の肖像
・・ただ旅先まで持って行くにはちと大きいし、なんかマジ気恥ずかしいような・・・

ところで、この歴史群像シリーズの顔とでも云うべき、印象的な表紙のイラストレーションを描いていらしたのが毛利 彰さんでした。
記事にするにあたって、調べてみると・・・

えー、この話、次にします 

じゃぁ また












(20:09)

2010年02月11日

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司馬遼太郎の作品に登場する城のうち三十五城を、作品の抜粋とともに紹介した「司馬遼太郎と城を歩く」(2006年光文社)が城歩きを始める切っ掛けでした。その冒頭、一城目にとりあげられたのが函館五稜郭です。
作品は「燃えよ剣」。新選組、鬼の副長と畏れられた土方歳三の生涯を描いた特に人気の高い作品です。
Hakodate1

moeyo五稜郭燃えよ剣(文藝春秋)
北海道函館市五稜郭町43
別名:亀田御役所土塁
築城:元治元年(1864年)
築城主:徳川幕府(設計:武田斐三郎)

黒船来航〜日米和親条約により開港された箱館を治める箱館奉行所として築かれた日本初の西洋式城郭。
函館湾からはやや遠い内陸部にあり、予算も時間も不足して要塞としては未完成の失敗作。明治2年(1869年)新政府軍と旧幕府軍の最期の戦争(箱館戦争)の舞台となったことで歴史に深く名を刻む。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回、札幌での撮影が一日で無事に終わったので撮影スタッフは予備日を使って函館廻りで帰ることになりました。
五稜郭は二度目になります。
城郭の形状を俯瞰するための展望塔「五稜郭タワー」が新しくなっていて、より高い位置から全景を見ることが出来ました。雪景色の五稜郭もなかなかです。
それから前回の訪問時に探せなかった土方歳三最期の地も確認してきました。 
Hakodate3
土方歳三最期の地碑
函館市若松町
土方歳三が壮絶な最期を遂げたとされる一本木陣地跡に建つ石碑。
全国の土方ファンの献花が絶えないそうです。


これが、ちょっと分かり難い場所にあって案内も十分にはされていないのですが、御当地出身のCD様にご案内頂き無事にお参り出来ました。
(CDとはコンパクトディスクではなく、クリエイティブ・・え〜と撮影の現場監督みたいな人のことです・・)ありがとうございました。


「燃えよ剣」はじめ新選組、土方歳三ものはこれまでに映画、TVドラマとも数え切れないくらいありますが、最近復刻されたDVDを一作挙げておきます。
moeyokenタイトルもそのまま
燃えよ剣  
〜市村泰一 監督作品
1966年11月公開松竹映画
出演:栗塚 旭
   和崎 俊也 石倉 英彦
   小林 哲子 内田 良平
(デジタルニューマスター版DVD)
原作はもちろん司馬作品「燃えよ剣」ですが、映画の方は多摩日野宿で「石田村のバラガキ」と呼ばれた歳三の剣術修業時代から、京都で新選組が一躍名を上げた池田屋騒動までを描いた娯楽時代劇に仕上がってます。後半と箱館での最期は省略されています。


 映画作品としては、歳三の悲恋物語が色濃く描かれています。
また原作、史実と異なり尊攘浪士の池田屋会合の情報が愛人(佐絵)からもたらされたり、土方自身が池田屋に踏み込んで、多摩時代からの宿敵七里研之助と大立ちまわりを演じるなど、新撰組フリークや昨今の歴女あたりからは、鼻で笑われそうな演出になっていて、僕もちょっと苦笑かな。
がしかし、ここは当時司馬遼太郎をして「最も土方歳三らしい」と言わしめた栗塚旭の土方歳三ぶり、男くささを堪能出来れば良いのではないでしょうか・・(と擁護しておこう)
ところで役柄、演技と違って栗塚旭 本人は至って温厚、どちらかと云うともうナヨナヨっとした人柄だときいていました。
このDVDの特典映像での栗塚インタビューを見て、なるほどと納得。
ホントに優しげな紳士、実直な俳優、いいおっちゃんって感じです。インタビューの内容も濃くこの特典映像だけでも見る価値あり。
土方人気を一気に高めた一本です。機会があったら観て下さい。
よろしくです。

じゃぁ また


(15:36)

2010年01月24日

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hamamatsu1
浜松城 : 静岡県浜松市中区元城町100-2
別名:曳馬城、引馬城
築城主:徳川家康
築城年:元亀元年(1570年)

静岡県浜松市内で13時から、という撮影があったので少々早出をして
「家康の出世城」として名高い遠州浜松城ヘ廻りました。
戦国大名として着実に力を伸ばしていった若き家康(29~45才)が足場とした城です。後に天下を統一し徳川300年の歴史を築く礎となった城とも云えるでしょうか。

hamamatsu2若き日の家康像
浜松城の特徴でもある野面積みの無骨な石垣は築城時のまま400年以上風雪に耐えてきたものですが、例によって天守閣の方は昭和33年に復興された模擬天守で、建造物としての歴史的価値は有りません。それでも石垣と天守のバランスも良く、歴史を偲ぶアイコンとしての役目は充分に果たしています。良い佇まいの城でした。





HAOU
覇王の家
「司馬遼太郎と城を歩く」浜松城遍で取り上げられた、家康の生涯のダイジェスト版と云える作品です。中でも1572年上洛を目指す武田信玄率いる2万数千の大軍に自軍1万ほどで挑み、散々に打ち負かされて大潰走、命からがらこの浜松城へ逃げ帰った三方ケ原の合戦は有名ですよね。
ただその敗戦を生涯忘れず教訓としたそうで、失敗に学ぶ姿勢は成功者に共通するところです。


 家康が天下統一を果たし駿府城(No.16)へ入城した後は、徳川譜代の大名が次々に浜松城主となりました。
その多くが徳川幕府で老中、大阪上代、京都所司代等に登用されたのでますます「出世城」の名が上がりました。
天保の改革で知られる水野忠邦(高校日本史でやりましたね!)も25歳で肥前唐津藩からここ浜松へ転封をはたし、出世コースにのって老中まで駆け上がった人でした。
しかし改革は失敗、失脚・・・・
政治の世界では何百年も同じようなことが行われているようで。

吹かなくても飛ぶような、小っさい事務所でカメラマンなどやってると、人の足引っ張る必要もヒマもなくて、まぁかえって幸せかも・・と
「出世城」眺めながら想うのでした。

じゃぁ また




(12:27)

2010年01月20日

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大阪経由で立ち寄った明石天文台(明石市立天文科学館)は開館50周年にむけた改装のため休館中で、プラネタリウムを見ることが出来ませんでした・・・・というのが前回までのお話でした。
どうしてプラネタリウムかってことで、今回は大阪のシンボル
通天閣明石天文台にまつわる物語について・・・・・・

tutenAkahsi1

上: 明石天文台
右側ドーム部分がプラネタリウム投影室 。今回は休館中で残念でした。

左:通天閣新世界商店街
ソースへの「二度浸け禁止」がルールの串カツや屋が並ぶ大阪の下町。
好きな街です。

もうそろそろ10年も前の話になってしまいます。
1200字ほどの一編のエッセイから生まれた一本の映画、タイトルもまた一曲の歌のタイトルから採られました。

「ココニイルコト」

原作となったエッセイ「わが心の町 大阪ミナミ・新世界」の作者は
最相葉月、テーマ曲で映画のタイトルにもなった「ココニイルコト」の作詞作曲と歌はスガシカオ、そして監督、脚本が長澤雅彦
最相葉月については98年のノンフィクション「絶対音感」を朝日新聞読書欄で見て、(たしか立花隆が労作だと褒めてたかな)とそのタイトルに引かれて読んでみたのが最初。
次の「青いバラ」もタイトルで。「あり得ないこと」をあらわす「青いバラ」、遺伝子組み換えによる誕生(サントリー)直前の作品でした。
nanto
エッセイは98年別冊文藝春秋に掲載されたもので後に初エッセイ集
「なんといふ空」(2001年)に収録されました(わが心の町 大阪君のこと)
bluerose









それは・・「通天閣と阪急ブレーブスと明石天文台をこよなく愛した友人がいた。・・・・」で始まり2ページほどで終わリます
kokoni

そしてそこから
約2時間の映画となった作品が
ココニイルコト
2001年 :日本ヘラルド映画
長澤雅彦 監督作品
長澤雅彦/三澤慶子:脚本
出 演
真中瞳  堺雅人
黒坂真美 中村育二
笑福亭鶴瓶 他
DVD:バンダイビジュアル



主演の真中瞳、憶えてますか?ニュースステーションのスポーツキャスターなどで人気絶頂でした。映画初出演、初主演のこの作品でキネ旬新人女優賞、ここのところずっと見かけませんでしたが・・・昨年末、名前を変えて復帰?だとか・・・ソレハオイトイテ。
舞台は大阪、相手役でもう一人の主役、堺 雅人のしゃべる「大阪弁」はネイティブの関西人にはちょっと変な響きだそうです。
九州出身で東京が長い僕にはどうでもいいことで、「ま、ええんとちゃいますかぁ・・」
最近すっかり役者になった笑福亭鶴瓶が出番は少なく、台詞はひと言もないのに、印象に残る良い演技してます。
長澤雅彦も初監督作品、テーマ曲「ココニイルコト」もスガシカオが初めて書いた(一曲目の)歌という初々な映画です。
くだくだとストーリーは明かしませんけど、真中の役どころは新人のコピーライターということで広告業界が舞台のお話になってます。
僕は手元に置いてもう何度も観たうえにとうとう明石まで行っちゃいました。未見でちょっと興味が湧いてきた方、 ひと昔前の作品、レンタルでも結構(旧作は安いはず!)いちど観て頂戴よろしくです。

で次のImpressions、スガシカオ行こうかな

じゃぁ また





(13:04)

2010年01月18日

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明石市は日本標準時の町、東経135度、子午線(南北線)の通る町と小学校の頃から教えられてきました(今は違うのかも(^_^;)
実際、東経135度「子午線のまち」としては三木、福知山、丹波ほか12の市があって、それぞれに標識、塔などのモニュメントを掲げているそうですから。それでも標準時といえば明石と反射的に答えてしまうのは明石々々と刷り込まれてきたのと、ここにある明石天文台(明石市立天文科学館)の存在が大きいからでしょうか。

akashi2Akahsi1


明石市立天文科学館
兵庫県明石市人丸2-6

標準時を刻む時計塔(高さ54m SEIKO製)とプラネタリウム投影室。
開館50周年(2010年6月)に向けて内装リニューアル中で休館でした、残念!また今度です。

写真左は山陽電鉄、人丸前駅のホームを横(縦?)切る子午線の表示。
背後に天文科学館の時計塔が見えます。ちょうど正午、背中に南中した太陽の光を感じながらシャッター切りました。「ときのまち」を感じます。
また、明石港と淡路島の岩屋港を往復する明石淡路フェリー、通称「たこフェリー」で海峡遊覧すると子午線通過記念証がもらえたりと、ここでも子午線の町をアピールしていました。

_DSC0075明石海峡大橋
神戸と淡路市を結ぶ、全長3,911m 高さ298m
明石海峡に架かる世界最長の吊り橋ということです。
今回は船から見上げてきましたが、通行料は片道2300円(普通車)だそうでこれも世界一じゃないの!!

さて、一日を明石の町に過ごし宿伯先の大阪へ戻りながら、明石城、明石海峡、海峡大橋、明石のタコや明石焼きを想いながら、やっぱり天文台のプラネタリウムが見られなかったのがちょっと残念だったなぁ・・・・と。
ずっと明石天文台に惹かれていたのは、ある物語の存在があったからなのです。
大阪のシンボル?「通天閣」「明石天文台」がキーワードになっている、その物語へと話はつながって行くのですが・・・

この話、次へつづきます。もう少々お付き合い下さい。
「ココニイルコト」

じゃぁ また










(10:39)

2010年01月16日

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今年最初の仕事は大阪で始まりました。うち一日空きが出来たので、前から一度行きたかった兵庫県明石市を訪れました。大阪梅田からJR新快速で約40分で明石です。
明石海峡、明石海峡大橋、明石天文台、明石の蛸、明石焼きといろいろありますが、まずは播磨の国、明石藩の象徴「明石城」へ。
JR明石駅のホームから直ぐ目の前に、城壁と二基の櫓が望めました。
akashijo-1
明石城
兵庫県明石市明石公園
築城年:1619年
築城主:小笠原 忠真
改修、主な城主:松平氏
天守は当初より建造されなかったが、巽櫓、坤櫓は江戸期からの現存で重要文化財
akashijo-2
坤 櫓
本丸の四隅にあった櫓のうち
南西(坤:ひつじさる)に位置し、もとは伏見城の材を移築したもの。巽櫓とともに現存建造物。城下町明石の町並みと背後に淡路島の島影、左手に明石海峡大橋の橋脚の一部が望めます。

徳川二代将軍秀忠の命を受け、藩主小笠原忠真が築城した城です。
徳川幕藩体制が安定期に入って後の平和期に築かれた城なので、戦乱期の大戦や歴史悲話とは無縁のゆるく優しい佇まいの城跡でした。
城にまつわる話としては、城下町の都市計画いわゆる「町割り」に剣豪宮本武蔵が尽力したというところにちょっと惹かれます。
・・で、早速城下町のほうへ下りて行くことにしました。
150_DSC0052







_DSC0067_DSC0057













海峡の町、魚の町明石を代表する明石駅前の「魚の棚:うおんたな」は明石城築城の頃から390年続く商店街。土曜日の午後、地元の買い物客に観光客もまじって大変な賑わいでした。
活気のある海辺の町を歩き、魚や土地の食材を眺め、そぞろ歩くときほど幸福な時間はありませんね!
明石のたこを使った「やわらか煮」「たまごやき(明石焼き)」に冷たいビール。海あり城ありで、もうすっかり明石ファンの旅カメになってしまいました。
ではもう一度城(坤櫓)を眺めて下さい・・・たこも!
_DSC0045

_DSC0054

じゃぁ また

(19:13)

2010年01月05日

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2010年、新しい年の業務開始の本日、新しい機材がやって来ました。
Nikonデジタル一眼レフカメラD3sです。
年末には出番をなくした大判レンズを何本かネットオークションに出品し、落札された機材のお見送りをしてました。
もう慣れたはずの「ゆくアナログ」と「くるデジタル」の風景ですが、見送りはいつもちょっと寂しいもの・・・で新年早々こんな新機材の出迎えには心も弾みます。
d3s-1
Nikon D3s
2009年11月27日発売
好評D3をさらに高感度仕様に改良した最新機
フルサイズCCD
1,210万画素
ISO12800までを常用感度とし、さらにISO102400まで増感可能。
HD動画撮影機能も搭載
「未踏の領域へ」行ってみるしかないですよ!




12月21日付のニコンからのニュースによると
アメリカ航空宇宙局(NASA)から宇宙での記録撮影用に、この「D3s」
11台と交換レンズAF-S 14-24mm 7本の発注があったそうです。
この組み合わせ、僕も良く使うことになるでしょう。宇宙仕様です。
アポロの時代から宇宙での定番カメラはNIKONとハッセルブラッドと決まっていますが、あらためてニコン党には嬉しいニュースです。(決してC社製カメラではないのだよ!すぐ壊れるしネ!)

d3sこれで既に導入済みのD3xと併せて撮影は全てフルサイズとなりました。
ファインダーも見やすくなって、旧マニュアルフォーカス大口径のレンズをもう一度活用してみようかと思っています。
実はオートフォーカスってちょっと苦手なんですね(自分で合わせた方が確実で速いし・・)

そんなわけで新年早々、ニコニコNIKONで気分も上々(^_^)vです。
・・あっそうだ、ご挨拶が遅れました
皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします・・ニコニコ

じゃぁ また

(19:14)

2009年12月24日

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Archiveプラスシリーズ第4弾はクリスマスイブのお話再放送!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
               ・・・・・ 2007年12月24日 記

 クリスマスが近づくと観たくなってしまうカトゥーン・・・
といってもジャニーズとは関係ありません。
アメリカMGM制作の漫画映画(Cartoon)「トム&ジェリー」です。

ディズニー作品はじめアメリカ製アニメーションにはクリスマスのシーンも多く、少年時代から記憶の底にしっかり刷り込まれているからでしょうか?毎年この時期にひっぱり出すのが、95〜98年にかけて発売された
「スペシャルBOX:トムとジェリー」Vol.1〜3

トム&ジェリーBOX












収録作品141話

1940〜58年のオリジナルともいえる、ウイリアム・ハンナ&ジョセフ・バーベラ版のほとんど全作に加え、60年代のちょっといじけた感じのチャック・ジョーンズ版まで網羅した、トムジェリファン必携の全3巻!
無理して買っておいてよかったぁ。(現在このセットより充実したコレクションは未発売)
全作通しで観るとジャスト1000分(16時間40分)目玉も頭もトムのように変形してしまうかも。
 日本では60年〜70年代にテレビ放映されました。僕もそれを見てファンになったのですが、本国アメリカでは映画の本編上映前にニュースや予告編と一緒に上映される約7分の短編作品(アカデミー賞7回受賞)として認識されていました。
アニメーションと音楽、効果音のシンクロも見事。繰り返しの鑑賞に耐える立派な芸術作品でしょう。
 ところで全141話中クリスマス編といえるのは意外にも1941年
「メリークリスマス」(The Night Before Christmas)だけでした。
いつもドタバタの喧嘩相手にクリスマスイブだけのちょっとした思いやり、シリーズがときおり見せる心温まる一編です。

それにしてもキッチンやリビングの様子、特に冷蔵庫の中やテーブルにあふれる料理、食材の描写に当時のアメリカの豊かさがあふれています。
1941年といえば我が国では昭和16年のあの年。窮鼠猫を噛む・・だったのかもしれませんが喧嘩の相手を間違ってしまったようですね。
上層部がせめて「トムとジェリー」でも観て大笑い出来るほどのゆとりを持っていたなら・・なんて今更でしょうかね。
 
映画の観過ぎで目が疲れたら静かな音楽でも聴きましょう。
フォークデュオ・サイモン&ガーファンクルの高校時代のグループ名が
「トム&ジェリー」だったのは有名な話。
パセリセージ

1966年 3作目のアルバム(LP)
Parsley Sage Rosemary & Thyme
CBS/SONY




B面最後の「7時のニュース/きよしこの夜」
かつてクリスマスが近づくとよくラジオで流された曲です。きよしこの夜のコーラスにヘッドラインの7時のニュースが重なります。60年代アメリカを象徴する名が聞き取れますジョンソン、レニー・ブルース、キング牧師、ニクソン、ヴェトナム・・・・印象的な曲です。いかがでしょうか?
さて、今夜、関東地方は晴れ
雨が夜更け過ぎに雪へと変わることもないようです
さ〜て出かけよう〜



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あれから2年、昨年のリーマンショック以来景気はどん底!
ショックはいつもアメリカからやってくるようで・・・・

トムジェリのDVD版発売になってます(廉価版もあり)
ジャニーズ・カトゥーンの方は相変わらずの人気らしい。
サイモン&ガーファンクルは今年7月、16年ぶりの来日。
僕は今年もLEDイルミネーションの嘘っぽい街へ
ふらふらと・・・Mary Christmas!




(14:07)

2009年12月12日

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僕たちカメラマンの商売道具といえばもちろんカメラ
中でもプロをプロたらしめていたのが4x5inch判以上の大判カメラでした。輸入、国産合わせて4台の4x5(シノゴ)と8x10(バイテン)1台を使ってきました。さらにカメラの重要なパーツとして大判用レンズが必要ですが、これも17〜8本を揃えて、いちフリーカメラマンとしてはかなり多い方だったと思います。
もともと道具というものに愛着を持つ性分もあったのですが、実際の撮影業務に必要なものだから一本ずつ買い足してきたのです。
道具と技術に少々の感性を加えることで撮影料というお金を発生させるのがプロ。道具がお金を生む訳で、ここがアマチュア写真家やカメラコレクターとの大きな違いです。
_DSC0004
ジナーF2ニッコールW240mm
ジナー(スイス製)はリンホフ(ドイツ製)とならぶ二大大型カメラメーカーで、現在もデジタル関連の撮影機々を積極的に生産しています。
F2はシリーズの中では軽量で建築やインテリアで使用されることの多かった機種。
ニッコールは日本のNIKONが製造するレンズ。ただし大判レンズは生産終了、メーカー在庫もなし。


ところが・・・
撮影のデジタル化によって、件の大判カメラ、レンズの使用機会がほとんどなくなってしまいました。僕自身がデジタルでの撮影を選択しているからでもありますがここ数年4x5フィルムでの仕事をしていません。
プロの道具がお金を生まなくなってしまったのです。
長年使ってきた機材に愛着はあるものの都内のオフィスでは収納スペースはいつも不足しています。
さらにデジタル機器は短期間でのアップデートを強いられて資金もいつも不足がち・・・となれば「歌を忘れたカナリヤ」を後ろの山に捨てるには忍びないものの…・現金化!ネットオークションに出品です。

oobann72mm








右シュナイダー社製スーパーアンギュロン72mF5.6XL
建築、インテリア撮影に適したドイツの名玉


今、ネットオークションを覗いてみると、出番を失い、持ち主だったプロに放出された大判カメラ、レンズが多数並んでいます。かつてのマニア垂涎の名機、名玉が信じられないくらいの低価格で身の寄せどころを求めているのです。買い手の多くはアマチュア写真家、コレクター、中古機材販売業者かと思われます。
出品するからには少しでも高く売りたい、出来れば優しき写真愛好家に引き取って頂きたいというのはこちらの勝手な言い分。
本音を云うと、鉄とガラスのずしっとした量感をもった物をパソコンのソフトという実体のない、いかにも軽々としたモノへ取り替えたときの喪失感がちょっとつらいです・・・ただのセンチメンタリズムなのでしょう。(きっとそうでしょうね)
そうかもしれないけど、我が儘ついでに云わせていただきます。
「願わくば、わが愛しのレンズ達よ、新しい主人の目となってこのうわついた時代の行き着く先を見届けてくれ!」
・・とうわついたオークションウォッチャーの僕は夢想する毎日です。
請う!高値落札!!

じゃぁ また




(20:07)