2014年10月05日

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お知らせです。
当Blogの人気企画(?)「城を歩く」は移転して、装いも新たに
「カメも歩けば城に当たる」として再出発致しました。
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新しいURLはこちら→「カメも歩けば城に当たる」
No.39今治城から新規追加です。
この「インプレッションズ」はフォトグラファーT-GOTOのWebサイトに
直結するDiaryとして、より日常的な、また写真的なものとして継続してゆきます。

また城歩きのこぼれ話や後日談などご報告の予定です
引き続きよろしくお願い致します。

以上お知らせでしたm(._.)m
じゃぁ また

(05:34)

2014年08月08日

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今年のNHK大河「軍師 官兵衛」も、話は早や後半に入っております。
毎年この辺りでダレが来て、中にはそのまま観なくなってしまった、
という話もありましたが、今回はいかがでしょうか?
官兵衛の子、長政が関ヶ原の合戦で功を立て、筑前五十二万石を得て
築いた福岡城です。築城名人の官兵衛(如水)の城でもあります。
以後維新まで続く福岡藩の藩祖は黒田長政、そうです人質として織田信長によって一度は消されかけ、あの竹中半兵衛の機転で命を救われた松寿丸なのです。戦国ちょっといい話...かな(微妙)

大手門と潮見櫓

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福岡城 : 福岡県福岡市中央区城内
築城主 : 黒田長政
築城年 : 1601年
別名:舞鶴城 石城

で、博多に隣接した福崎の地を福岡 と改めてここに築城したわけです。
「福岡」は黒田氏の故地、備前福岡から取った…(と殿様やりたい放題、これが元で博多vs福岡の名称争いは今も続いてますが・・)
城は惣構えで、多数の櫓を持つ巨城でしたが天守は無かった、が定説。
近年、「実は天守が有った」説も浮上、復元計画があるとかないとか、
ま、お任せするしかないのですが、慎重にかつ個人的には前向きに進むといいなぁと思ってます。

天守台

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別名「石城」のとおり立派な石垣が往時を偲ばせます。
天守台ほか門、櫓など現存の建造物も残っていました。

藩祖の話になったので安直・虎の巻を一冊
江戸日本を創った藩祖総覧 〜武光 誠  PHP新書   
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戦国動乱を勝ち残って藩祖となれたのは、どんな人物か?って本です。 
あくまで徳川幕藩体制になって後の藩主一覧です。
福岡五十二万石、黒田長政の項をみると、「信長に仕え、秀吉に引き立てられた藩祖」という分類になってます。他には豊臣秀頼(大阪)浅野幸長(和歌山)山内一豊(高知)蜂須賀至鎭(徳島)など約二十五藩主ほど。
〜「黒田家が寛容な政治を行い、商業を奨励したことによって、福岡の人々は陽気で勝ち気な性格を持つようになったとされる」・・とあるけど、まぁ一応伺っておきます。


最後に(またいつもの台詞で)福岡はもう何十回も来てるのに・・・・・
今回初めて城下町福岡を意識して、Googleマップで周りの位置関係など確かめながら、博多駅側から中洲、天神を抜けて中央区の福岡城跡まで歩いてみました。なるほどそういうことか、位置関係がよく理解出来て、同じ九州者としての親近感も倍増です。
福岡、いや博多?(どっちでも良いけど)、「鶴の子」以外全てOK〜!
すいません昔からあれがちと苦手なんです、はい。

じゃぁまた 
 


(17:42)

2014年08月06日

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松本城 : (現存天守): 長野県松本市丸の内4-1
築城:1504年小笠原氏
城主:小笠原氏(深志城)〜武田氏〜石川数正・康長(天守築城1590年〜)
   江戸期は小笠〜原松平〜水野ほか松本藩の居城

現存天守にして国宝松本城です。
実に30年ぶりの再訪でしたが、記憶は何となく黒っぽいお城だったなぁ
という程の頼りないものでした。
で、今回改めてじっくりと眺めてみたところ、さすがの国宝指定!
剛健実直な古武士を思わせる立ち姿に惹き付けられ、しばし見とれてしまいました。
外壁の板(下見板)が黒漆塗りで別名を烏城(からすじょう)
国宝四城の中でも黒の松本城と白の姫路城が東西両横綱って感じかも。

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大天守・乾小天守(右)辰巳附櫓(左)と月見櫓(左手前)

城下町の整備、天守の築城を行ったのは石川数正・康長父子でした。
石川数正は元徳川家の家老で、家康の側近中の側近でしたが、秀吉と
家康が対峙した小牧・長久手戦のあと突然出奔して秀吉側に寝返って
しまいました。理由は諸説あっても今ひとつ謎のままです。
ま、ありますよね今も昔も人の世は・・・です。

石川数正が天守築城を始めた1590年頃はまだ戦国末期で鉄砲戦も
想定した黒塗りの実戦的な城造りとなっているのだそうで
確かに平和期の緩い城造りとは違った緊張感を感じました。

五層六階、30m近い高さの天守にも登ってみました。
一歩進み一段上がるごとに巨大木造建築の迫力がひしひしと伝わってきました。最上階の間にざっと30人ほどの観光客が上がっていましたが、まだまだ余裕で、百人でも入れそうでした。国宝堪能致しました。
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では松本城周辺のお話、今回はこれです
松本駅から城を目指して歩いて来て、もうあと100mで松本城という
ところでビルの谷間の本屋さんに目が釘付け!
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観光客もこの本屋さんをバック記念撮影してました。
(松本城より先にです!)
模造のお城型商業施設っていまいち好感が持てないものですが、
こちらは完成度の高さもに脱帽、もう拍手です。
古書店というのも良いのでしょうね。
聞くところ、昭和の大修理(昭和25年~30年)の際、松本城天守を
観られない観光客のために、初代店主が20分の1サイズで改築再現したのだそうです。
素晴らしい!現存店主と呼ばせて頂きます。はい。
一見の価値有りです、ぜひどうぞ。

じゃぁ また




(22:01)

2014年07月23日

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鉢形城 : 埼玉県大里郡寄居町鉢形2496

今回は荒川の上流、埼玉県寄居町へ行ってきました。
小田原北条氏の北関東支配の拠点として、三代北条氏康の四男氏邦
入城し整備拡張した鉢形城への登城です。
発掘された土塁や住居跡からなる広大な城跡公園ですが
開発の波に晒されることもなく、良く保存されていると思いました。

石積土塁
内側を荒川の川原石で階段状に固めた土塁が発掘されています。
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荒川と支流の深沢川が削った断崖上にある天然の要害でした。
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1590年、豊臣秀吉による小田原攻めで鉢形城は前田利家父子、上杉景勝、真田昌幸ら五万の大群に包囲された。
八王子城の北条氏照と同じ主戦派の氏邦は城兵僅か三千五百で一ヶ月の籠城戦の後ついに開城しました。
この辺りの話がないかと探したところ
井伏鱒二の「武州鉢形城」という作品がありました。
全集以外の単行本は絶版でしたが、ネットで古本を入手出来ました。
昭和38年初版(もう50年前の本です!)は思いの外綺麗でした。
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武州鉢形城 〜井伏鱒二
新潮社 昭和38年発行
作家の私(主人公)が机を造るため、寺の住職から入手した赤松の角材に、矢尻と鉄砲玉が食い込んでいた。角材は深谷市の弘光寺の庫裏の屋根裏に保存されていた物で、調べると鉢形城の曲輪に立っていた一本松だったという。鉄砲玉は天正18 年
(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにおける鉢形攻防戦の物らしい。
ここから私と住職、郷里の退役軍人とのあいだで書簡の往復による古史料の読み解きが始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

行楽気分の城歩きでは、城跡に備え付けのパンフレット類を一読して概略だけなぞることが多くなります。
城の攻防戦についても、城主や主だった武将名を確かめて、結果を見てお終い、になりがちですよね。
今回、なかなか凝った構成の「武州鉢形城」を読む機会を得て、実際の戦というもは、参戦した城兵によって成されたものであり、かつ個々の城兵浪人一人ひとりにそれぞれの人生があったのだという思いを、今更ながら深くしました(あれ、それって戦争物の王道ですかね?)
古史料の読み解きから鉢形城攻防戦の詳細と、時に推理も交えて人間への思いを描いた名作だと思います。
それからやはり、この手の本は訪問前に一読しておくのが基本ですね。
現地での見方が全く違っていたかと思われます、反省しきり、です。
関東北条の城まだあるけど、ちょっと飽きたので次は凄いの出そっかな!ご期待下さい。

じゃぁ また




(17:06)

2014年07月17日

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本丸御殿
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川越城 : 埼玉県川越市郭町2ー13ー1

1457年扇谷上杉氏の本拠として、太田道真、太田道灌父子により築城。
ここでの司馬作品も前回の小田原城とおなじ「箱根の坂」です。
早速引用しますと
〜(上杉)定正が拠る川越城はぬきんでて規模が大きかった。
かつて太田道真・道灌父子が江戸城とともに築城したもので、多くの
土塁と濠が複雑に組み合わせられ、平場の城である弱点がみごとに解決されていた(中略)〜これらの設計(なわばり)のみごとさを見るにつけ、亡き道灌という人物の尋常ならなさがわかった。

〜以上は北条早雲がみた川越城の印象として描かれた箇所です。

その後上杉時代から後北条時代には北条氏康の奇襲「川越夜戦」の舞台に、江戸期は徳川譜代の城下町として川越は繁栄しましたが、現在は江戸後期に建てられた本丸御殿の一部と富士見櫓跡などわずかな遺構を残すのみです。
明治維新後はすっかり様変わりしてしまい、戦国史的にはやや寂しさも感じてしまいます。
富士見櫓跡
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実は5年前に一度ここ川越城へ来たのですが、当時は本丸御殿の保存改修工事中だったのです(2011年竣工)
その時の記事→「城を歩けなかった、川越城」・・相変わらずで凹みますね(NHK朝ドラつばさの頃の話です!)

江戸城を造った太田道灌についてもその頃読んでました。
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小説 太田道灌
〜江戸を都にした男
大栗丹後(栄光出版社)
2002年
江戸城の築城また例の山吹伝説でその名前だけ知っていた
太田道灌について、初めて詳しくその生涯を知ることが出来ました・・と云ってみたものの結構忘れてしまった所が多くて、愕然!
作者の大栗丹後(1928~)はテレビプロデューサーから歴史作家となった人です。
「赤胴鈴之助」の作詞者とあったので調べてみると作詞者名:藤島信人となっていてご本人だと思います。


ずっと気に掛かっていた川越城をやっとアップできました。
江戸の面影を濃く残す川越は、蔵のある町並みを中心にした町興しが大成功で、私もその後、仕事でプライベートで何度か足を運んでます。
もしまだでしたら、ぜひ一度おいでください。

次も関東の城・・かな?

じゃぁ また













(21:41)

2014年07月15日

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小田原城 : 神奈川県小田原市城内6-1

小田原北条氏の居城「小田原城」への登城です。
三代目の北条氏康の頃には難攻不落の城といわれ、武田信玄や上杉謙信でもついに落とせなかった関東第一の堅城でした。
現在の天守閣は北条滅亡後の江戸期の姿を、宝永の再建時の模型や図面を基に復元したものだそうです。
それでも小田原と云えば北条氏、戦国時代の幕を開けた初代北条早雲から五代百年の歴史舞台となった戦国の名城を想いながらの登城でした。
地元では初代早雲が一番人気らしく、小田原駅には像が建ってました。

北条早雲像
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新幹線口なのであまり目立ってないですけど。
牛を連れているのは大森氏の小田原城に夜襲を掛けたとき、角に松明を括り付けた牛の群れ率いて大群に見せかけた奇襲戦法の逸話に基づくものです。

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「〜城を歩く」での司馬作品は
「箱根の坂」
後北条家の祖で戦国の世の幕を開けた伊勢新九郎、後の北条早雲の数奇な人生を描いた長編。
不明な点の多い新九浪の前半生については作家によって設定が微妙に違ってます。通説では一介の素浪人から戦国大名にのしあがった下克上の典型的人物ということになりますが、「箱根の坂」では備中伊勢氏の末裔の鞍造り職人で足利義視に仕えると云う設定。小説と史実は違っても当然ですから。さらっと!


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歴史群像シリーズNo.14
真説戦国「北条五代」
後北条政権は、早雲に始まり
氏綱、氏康、氏政を経て
五代目の氏直までの百年。
1493年早雲の伊豆侵入で戦国時代の幕を開け、1590年秀吉の小田原攻めにより小田原開城と滅亡、まさに時代を象徴する戦国大名家と云えます。
このシリーズらしく、各当主ごとの足跡と戦歴、治世ほか実に事細かに紹介されていて、
この一冊で北条通になれます。


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銅 門(あかがねもん)1997年復元

関東に住んでいると、あちこちに遺ってる城跡の多くが小田原北条家の支城とか縁の城ということを知らされるのです。小田原あたりは何度も行っているのに、小田原本城への登城は今回が初めてでした。
やっと本家本元の地に立てて、ちょっと安心しました。
次はその小田原北条系の城を歩いてみます。

じゃぁ また

(17:48)

2014年07月14日

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枝 豆
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夏の「肴」の定番中の定番ですよ〜
これも自分でやってみようぜ、肴action.
今朝方、W杯決勝でドイツが優勝したので
とりあえずドイツビールで乾杯しよっ・・
本日は以上です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下余計な世話ですが
これまた今が旬なのでスーパーに山のように積まれてます。
あれこれ迷うのも、なんか楽しいジャン。
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で、今回は値段とネーミングでこれっ!
外税表示がちと気に入らないけど、ま、いっか。
生産者も流通販売業者もこのように販売促進のために知恵を絞り、汗を流しとるわけですよ!
居酒屋で漫然と摘んでないで、世間を見ようぜ〜!
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やり方はネット上にあれこれ上がってますのでまねして下さいね。
塩の分量もコツのひとつ、あとは茹で時間。

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何分茹でますか?
…じゃなくて目で見て耳で聞いて枝豆さんをよ〜く観察してね。
3分ほどでぽつぽつと鞘が開き始めます(あ、二枚貝のようにパカっと開くんじゃなくて細〜く隙間が出来る感じ)この辺でひとつ食べてみてあとどのくらい茹でるかお好みで決めます。わたしは硬め、カリカリが好きなので3分半ほどで湯上がり娘です〜、はい。
上がったらうちわ(私は扇風機)で冷まし塩をまぶして出来上がり。
お湯さえ沸かせればアホでも出来ます!
やって!TRY

じゃぁね〜



(18:44)

2014年07月09日

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鰺の南蛮漬け
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が旬ですね〜
スーパーにも色の良い大小の鰺が毎日並んでます。
で、豆鰺をカラッと揚げて南蛮漬けにしてみました。
三度目の挑戦で何とかサマになってきたぞ!
ポイントは鰺の揚げ具合と南蛮酢の調整でした。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず鰺は基本の「二度揚げ」でカラッと!
最初は低温160~170度で7~8分揚げたものを、一度(15分ほど)
冷まして、高温180度で再度2~3分、というセオリー通りに。
ま、半年前の初回時もここはなんとかクリア出来たのですが…
もうひとつのポイント、南蛮酢作りでまさかのボーンヘッド!
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見栄えは中々ですが、何かひと味?コクが足りない感じでした。
あとでハタと気付いたら、なんと醤油を入れ忘れてた〜!
鰺を揚げながらビールちびちび、さらにネット情報の南蛮酢レシピをチラ見しながら慌ただしく調合したのが失敗の原因でした(初心者のくせにです)

学習の結果、事前に落ち着いて調合を済ませておくことに。
レシピもそれぞれ微妙に配合が違っているので、数字を鵜呑みにせず、味を確かめながら少しずつ合わせていくことにしました。
結局経験を積むことでしか会得できない、という当たり前の所に落ち着いたという次第です。
で、三度目が写真1と2、こんなもんじゃろ〜、はい。
問題なく旨かったですよ!酒も進みました!
なら、ほかに云うことはありませんので、周辺写真をアップして、
今回も無事終了〜、です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小さめのあじでも「ぜいご」はきちんと取ることに
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片栗:小麦粉=7:3(思いつき・・)
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二度揚げ〜
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完成〜
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じゃぁね〜









(17:41)

2014年07月02日

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レタスとネギとジャコの黒ごまオイルサラダ
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「サラダ」ってなに?
あの、個人的には、撮影スタッフ数名で中途半端な西洋レストランに入ってしまい、全員同じコース料理を頼み、まっ先に出てきたレタスとトマト少々のサラダを一斉にモソモソ食べ始める時のアイデンティティ喪失感が悲しいです。
・・とか云ってる場合じゃなくて、たとえ付け合わせの生野菜といえどもここは酒を飲む時に添える食品「肴」を作るコーナーなのでひと頑張りして、これならどうだい!ってのが本日の一品です。

材料だけ挙げときます、レタス、ネギ、ちりめんじゃこ、黒ごま、
揚げ豆腐、
これをごま塩ドレッシングであえて、糸唐辛子と砕いた
ピーナッツをトッピングして完成。
納得の味に血迷って自画自賛しちまいますが、これでビール(大瓶)1本はすぐ行けてしまうすげぇ肴サラダ!です。
ごま塩ドレッシングってのは今や食せなくなってしまった、レバ刺し
(関西では生レバ)に使ってたごま油のあれですよ。
火も使わずすぐ出来るお摘みサラダ、やってみてね〜。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下は興味のある方のみお進み下さい
このサラダ履歴です
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元もと同じベースながらコスト的にシラスを使い、揚げは入ってなかったのです。まさに付け合わせの和風サラダでした。
これを摘みにするひと工夫=肴action が、油揚げをクルトン代わりに使ってみるか!だったんです。
表面を軽く炙ってカリカリにして投入・・だいぶ良くなりました。

するとSNSにアップしたしたこの写真を見た、京都の友人から
油揚げは京都のものを、ネギはぜひ九条葱で・・というアドバイス。
最初は小ネギ(万能ネギ)でした、ま、これでも良いけど。
その京都での試作がこれ。
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だいぶ完成形に近付きました。
予定通り京都の地元人気豆腐屋さんの油揚げと九条葱を入手。
出張製作だったので若干のミスもあって、ギリギリの線でした。
ま、積み重ねです。

青菜に塩なので時間を置くと当然シンナリとします。
かさも縮みますが、これが酒の摘みにはなかなかです。
パリパリ・シャキシャキが好きなら混ぜてすぐに行っちゃって下さい、
そこはお好みで。

あ、それから「わたしネギがきらいなんです」・・とか云ってる奴、
知るか、プリンでも食って早く寝ろ!・・以上

夏場のビールの友にお勧めだよ。
じゃぁね〜













(17:42)

2014年06月14日

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カリフラワーとアスパラベーコンのカレー風味炒め
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タイトル長いぞ!と思ったあなた、実際長い話なんだよ聞いとくれ。
ここは肴actionつって酒の肴を自分で作っちゃおってコーナーです。
いますぐ呑みたいときのお摘みなんだからさ「じっくり煮込む」とか
「ひと晩寝かす」はナシでしょ〜。
その点炒め物って素材をそのまンま、または刻んで油でジャ〜ッ
粋だぜ鯔背だヨナ、片付けも簡単!と・・・前置き終了

発端:先日スーパーの店頭に、あ、花キャベツ !
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あの、もちろん知ってますよ、カリフラワーですよね、はい。
私は新参者のブロッコリーよりこれが好き!それにしても一個140円は安い!(はず)で、買ってしまったのです。
実は生のこいつをじっくり手にとって見たことがなかったのです。
いつものようにネット情報をもとに茹でてみることに・・・
はじめて紐解く花キャベツ解体新書!な〜るほどこうなってるのか!
塩と酢を少々入れると真っ白に茹で上がるらしい・・ほ〜!
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実は買うときに何故かしら閃いて、アスパラガスと一緒にカレー粉で炒めたらいいんじゃないの〜・・という読みがあったんですね。

試作第1号
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一見旨そうですが、すでに素人ならではの破綻が・・・
カレー粉の黄色がなかなか馴染まず炒めすぎで焦げもあります、
何より塩、胡椒、カレー粉だけでは短時間に花キャベツ君にアジが染み込まない!なんだか野菜を無理に食べさせられてるだけで、ひと味足りませんでした・・とさ。
試作第2号
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そうだ!花キャベツに出汁を染みこませれば良いんでないの?
・・またも閃きです!炒めた後このハーブブイヨンを適量投入して一瞬の煮込み。やりました!
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カリフラワーに良い味浸みました。
ちなみにカリフラワーは茹でないで生のまま炒めた方が良い、アスパラは別茹でして最後に入れる(わたし流)一応満足して、ビールもチビっと行ってみたけど、まだなんか中途半端なこの気持ちは何なの?

完成形へ
やはり料理は(肴って云ったじゃん?)は目でも楽しむもの!
色気がない〜
アスパラの緑、カレー粉の浸みたカリフラワーの黄色ときたら、信号カラーの赤でしょ!
ということでパプリカの赤味を合わせてみたのが完成形(写真1)です〜
粉チーズとパセリ微塵もふってみました。冷めてもいけます。
肴もローマも一日にして成るもんじゃないですね〜、はい。

お〜何かいい企画になってきあたなぁ〜と自分で褒めつつ
まだまだ行きます、目指せ100号!(まだ6ジャン)

じゃぁね〜












(17:50)

2014年05月28日

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もうイキなり、動画いってみよ〜・・クリック!
(音も出ます〜30秒)


今回はアヒージョです。このグツグツ&熱々感が堪らない〜!
ajillo アヒージョ、なかにはアヒーリョって表記もありますが、
スペインの居酒屋バルで出される小皿料理タパスの一種、ガーリック風味オリーブオイル煮ですね。まさにおつまみ、肴です!
オリーブオイルにニンニクと赤唐辛子、具材は海老、蛸、牡蠣、鰯、マッシュルーム、野菜ほか結構なんでもあり。
手早く出来てなかなか男っぽい一品かな。ちょっとそのワイルド感を伝えたくてビデオ撮ってみたんです。

ホタルイカのアヒージョ
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もうふた昔も前、スペインに取材旅行に行ったことがありました。
ライターとカメラマンの男二人旅、毎日昼に夜に各地のバルヘ寄っては、飲んで食っての珍道中でした。
ただ何故かその時はこういうぐつぐつ煮立ったアヒージョには出会ってないんです、良く憶えてないんですね。その後日本のスペイン料理店で知った次第でして・・・
最近になってまた何度か出会ったところ、あ、これなら自分でも出来そうだなって気になっちまいました。
まずは写真の耐熱陶器の鍋というか皿を入手したのが勝因、(840円でした)本場では赤っぽい陶器でカスエラって呼ぶらしい。
直火に掛けられるので先の材料をオイルで煮る(揚げる?)だけです。
マジ簡単。

材 料
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当日が消費期限のホタルイカが30%0ffで出ていたので、よしアヒージョで行こう、となったわけです。
あとはエリンギと色味に赤ピーマン。ホタルイカの目玉と口は取り除いておきました(たぶんはじけるじゃないかな)
それから味の良く出たオイルに浸して味わうためのフランスパンは必須です。

蛸とエリンギ でもやってみました(エリンギ余ってたんで)
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カスエラひとつで簡単に見栄えのいい肴が出来ちまうわけです。
ちょいと訳知りな奴が「本場ではこうする」とか「そういうやり方はしない」とか云いそうな気配もありますが、ま、云わせておいてオリジナルを開発し、ジャンジャン飲んで酔っ払っちまいましょう!
問題な〜し、です。細かいレシピなどはネットにワンサカ出てますから適当に良さそうなのをパクって下さい。
本場っぽくシェリー酒、白ワインも良し、とりあえずビールでも「いいじゃないの幸せならば」ってことですよ。
スペインのバルで昼間っからちょっと良い気分になってるこのおじさんみたいにね〜。
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in Spain 1989

では肴 actionNo.5はこのへんで、
じゃぁね〜

(19:36)

2014年05月20日

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「八王子」をご存じでしょうか?
東京都八王子市へは仕事でもう何度も行ったのに、仕事以外で行ったことはありませんでした。
勝手な印象としては東京の西の方のだだっ広いところ!…かな。
城があったことも最近知りました、八王子市民の皆様誠にすみません。
行ってきましたよ、しかも雨です!
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八王子城(推定復元の曳橋と御主殿石垣)
東京都八王子市元八王子3
後北条氏の居城小田原城の支城として北条氏照築城。
氏照は北条氏康(3代)の三男。
1587頃にほぼ完成し本拠となったようです。
深沢山の地形を活用した典型的な山城。

しかし1590年天下統一目前の豊臣秀吉の小田原征伐で、氏照は小田原の本城に詰めて不在、残った僅かの将兵と婦女子・領民3,000人が籠城したが、1万5千人の豊臣方に攻められ落城。
城方3000名は全滅、寄手にも1260名の死者という戦国史の最後を飾る凄まじい攻防戦となりました。
その後関東に入った徳川家康は八王子を直轄領とし、深沢山八王子城は廃城に、さらに「忌み山」として入山禁止としました。
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(氏照の居館があった御主殿跡)

八王子城の築城主「北条氏照」も読んでみました。
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まず小田原北条氏は、家祖の北条早雲のあと歴代頭首は氏綱・氏康・氏政・氏直で兄弟もほぼ通字の「氏」が付いていて、これをウジウジ憶えるのもけっこう大変ですね。
八王子城も氏照も今回初めて知ったわけです。北条、武田、上杉の関東での覇権争いの歴史。
常に主戦派だった戦国武者氏照の生涯、さらに小田原開城と北条氏五代百年の終焉の話ですが、やはり八王子決戦がいかに凄惨な戦いだったかというところに尽きますね。

で、当日は平日の午後、しかも雨天のこととて、訪問者は広大で山深い城跡に僕一人。
廃寺や野ざらしの石仏なども多数あって、子連れ狼の拝一刀が忍者と斬り合うロケーションでもやってそうなところなんですよ。
正直気味の悪い感じはありました。

後日ネット情報で知ったのですがここ八王子城跡はいわゆる心霊スポット、肝試し的な恐ろし気な地域という書き込みが多数上がっておりました。ま、歴史的激戦地だしね。
僕も先に見ていたらもう少し寒くなる感じがあったかもしれませんね。
ただ個人的にその手の話は信用してないし、興味本位で騒ぎ散らす人達も好きになれません。
人間が脈々と築いて来た歴史への冒涜だと思いますよ、と切り捨て。
八王子市にはもう少し広報と城跡の整備を頑張って頂きたいところです。
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北条の支城は関東に沢山あって、先のNo.23忍 城もそのひとつです。
あ、本城の小田原城はまだか?・・という声も聞こえそうですので
次回は小田原本城へ登城の巻・とします

じゃぁまた

(17:36)

2014年05月09日

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月山富田城 : 島根県安来市広瀬町富田

まず読みですが「がっさんとだじょう」です。
松江城への登城の後、一瞬迷いましたが(松江から20数キロあり)
今思えば行って良かったです。
ただ戦国期の典型的な山城でちょっとした登山でした。
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(細い山道を登ってやっと二の丸跡、本丸まであと一息)

富田城は歴代出雲守護職の居城で戦国期は尼子氏が中国地方十一州の太守として勢力を誇りました。尼子経久〜晴久の時代です。
この富田城を奪われたり奪い返したり、同じ中国に勢力を伸ばす毛利元就との戦いなど歴史的ドラマに満ちた戦国の名城だったのですよ!
と、そういうことは帰ってから後追いで読んだ本で知った次第です。
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尼子関係の書籍はいろいろありましたが、さし当たり読みやすそうだったのでこれを。
尼子経久 / 中村整史朗
〜毛利が挑んだ中国の雄

筆者が強調しているのは
〜尼子経久は北条早雲より5年以上も前に、幕府によって追放された富田城を奇襲して奪回、出雲国の切り取りを始めている、よって戦国の風雲を巻き起こしたのは早雲ではなく、この経久であった・・と、はい一応窺っておきます。



結局最後は毛利によって滅亡させられてしまう尼子氏。
もし尼子経久があと50年遅く世に登場していたなら・・・
と歴史の「もしも」を筆者とともに思うわけですね。
(本丸跡からの眺望)
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出雲全体に桜が多く、満開の時期に行けたことで松江やこの富田城の印象も強く残りました。
ほとんど詳しいことは知らなかった尼子のこともちょっと分かったしね。でもマイナー感は否めないなぁ、「あまこ」って読んでましたから、
「あまご」が正解です。

じゃぁ また

(20:44)

2014年05月06日

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4月、桜満開の松江城に登城しました。
江戸時代初期1611年、堀尾氏24万石の居城として築城。
堀尾・京極・松平と続いて明治を迎えた後も保存され
現存12天守のひとつ重要文化財です。
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松江城天守(現存) : 島根県松江市殿町1-5

登城前には勝手に小さめの天守を想像していたのですが、大変失礼しました、天守台を入れて高さ30mもある4層5階の立派なもので、床面積では姫路城に次いで現存天守中2番目の大きさでした。
内部の展示物も文書、甲冑など本物が並び充実していました。特に1〜2階の展示室の広さ・高さから改めて天守全体の大きさを再確認させられた次第です。素晴らしい木造天守でした。

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恒例の現存天守最上階からの眺望です。宍道湖北側の湖畔に建っていて
日本三大水城のひとつだそうです。
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山陰地方へは仕事で来る機会も少なく、松江も今回が初めてでしたが、
宍道湖や城下町松江の落ち着いた雰囲気がとても気に入りました。
ま、いろんな意味でちょっと地味ではあるのですが、
それも大いに良しといたします。

では、いつものように松江城にまつわるサイドストーリーを一編
・・と思ったのですが、江戸時代に入ってからの築城、要するに平和期に建てられた城だけにいまひとつドラマ性に欠けるわけですね。
ネットで調べて出てくるのがNHK朝ドラ「だんだん」(2008年)のロケ地が松江市で、松江城もたびたび登場していたらしい、と地味!
朝ドラは時計代わりに横目でチラッと眺めるだけ(基本見ない・例外あまちゃん)で、「だんだん」って見てません。アウトです!

matsue4なら初代城主堀尾吉晴の像・・・
実は堀尾氏歴代のこともよく知りませんでした、今回少し分かったのですがやっぱり地味でした。

困った果ての松江ネタひとつ。
まだ一度も云ってませんでしたが、松江市って何県でしょうか?
3秒おく
答え: 島根県です。しかも県庁所在地なんですよ(結構知られてない)
では同じく「松」が付く県庁所在地があと二つあります、何処だ?
7秒おいて・・・まとめておきます
島根県松江市、愛媛県松山市、香川県高松市の三つです。

山陰と四国で位置もなかなか憶えにくいのですよ。
そういう間違えやすいことは、クイズになり易いわけで、小学生のテスト問題としてもよく取り上げられるんですね。
学習塾などではこの3都市を「松三兄弟」と呼ぶところもあるようです。
これを機会に島根県と松江市をよろしくお願いいたします。
…とお茶を濁してのお別れとなってしまいました。

ただ次は凄いです!
戦国時代の山陰出雲の中心だった城へも行ってきました。
乞うご期待…です。

じゃぁ また









(14:55)

2014年04月24日

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四国香川県の丸亀城への登城は岡山を起点に、瀬戸大橋を渡って半日行程で行ってきました・・というのが前回の内容でした。
その岡山に居ながら備前の名城を素通りするわけにはゆきませんね。
で、今回は岡山城の巻です。
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岡山城 : 岡山市北区丸の内2-3-1

旭川を天然の堀として建つ天守、黒塗りの下見板を張り巡らせた外観の黒っぽい印象から別名「烏城(うじょう)」または「金烏城」
慶長2年(1597年)、8年の歳月をかけた宇喜多秀家による大改修で近世城郭としての形が整いました。
その後も小早川、池田家と江戸期を通して改修が続き明治まで存続。
旭川、後楽園側から見る佇まいに気品があって美しい天守でした。

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現在の天守は1966年復元のコンクリート製ですが、元の天守は明治の廃城後も取り壊しを逃れ昭和の時代まで生き残っていたのですね。
しかし昭和20年空襲により焼失しました。岡山の町ごと焼き尽くしたのはもちろんアメリカ合衆国です。他にも名古屋、和歌山、福山、広島など七城が空襲で焼け落ちました(簡単に忘れてもらっちゃ困りますね)
なんとも惜しいことで残念です。

備前の宇喜多といえば、なんと良いタイミングでしょう。
現在放送中のNHK大河「軍師 官兵衛」宇喜多直家が登場しています。
陣内孝則が演じる謀略、暗殺、裏切りの戦国の梟雄で、今回も徹底して悪役として描かれてます。
その直家の子秀家は羽柴秀吉の猶子となり白皙の貴公子、「備前宰相」と呼ばれ後の豊臣政権では五大老の一角を占め、備前五十七万石の大大名となりました。
岡山城とその城下は秀家が宇喜多家の威信をかけて造ったんですね。

何か宇喜多家の話はないかと探してみると、津本陽の「宇喜多秀家〜備前物語」があったので(古本で)読んでみました。
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宇喜多秀家〜備前物語
津本 陽
岡山城築城四百年記念事業として山陽新聞に380回掲載の「備前物語」に加筆訂正・・・ということです。
帯のコピーに釣られて、宇喜多秀家の生涯やその大活躍を期待すると、ちょっと外した感じになるかもしれません。前半は宇喜多直家、間に信長の中国攻め、本能寺の変を挟んで秀吉の天下統一、後半が宇喜多秀家(でも主役は秀吉)という構成です。


なんだか疲れました!直家〜秀家にまつわる事件を史実どおり時系列に沿って年号、日付、地名、人名が延々と綴られてゆくスタイルは歴史教科書的(でちょっと退屈)、私は前半部から何度も寝落ちを繰り返しつつ、やっとこさで読了しました。
ただ関ヶ原で破れながらも生き延びた秀家が徳川政権により八丈島へ流され50年、83歳で没する・・という僅か10頁ほどの最終章がひどく感動的で、帯のコピーもなるほどなぁ・・と思えてくるのでした。
いいな秀家!やっぱり家康って嫌な奴ってところに落ち着きそうです。

では、岡山編の締めとして唐突ですが、岡山名物「ままかり」は酢漬けの方が有名ですが、個人的にはイマイチなので、炭火焼きにしました、という何とも締めにならないまま終わります…はい。

じゃぁ また


(23:10)

2014年04月18日

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今晩は〜
肴 action、4回目ですが早めに質しておきましょうね。
「肴」ってなに?
ものの本によりますと、元は「酒菜」で「酒を飲むときに添える食品」ときました。さらに魚類の「さかな」は酒の肴によく使われるため、元は 「うを」だったものを江戸時代頃から「さかな」と呼ぶようになったんだと! ほう、なるほど!と最初に受け売りをぶちかましておいて今日はその魚だよ〜。
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完成形を見て頂いたこれは、日本人にはお馴染みの「刺身」ですね。
スーパー、デパ地下のプレカット版に頼らないでじぶんでやってみようの巻です。材料はこれ
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これは鰺(あじ)ですよ、鰺鯖鰯の区別はつきますか?
3尾で300円!ちょっと包丁が使えたら安くて旨い肴が出来ちゃいます。
ただし包丁は良く切れることが条件ですね。レンズと包丁はキレが命!
カメラマンはみな包丁研ぎも上手なんです(うそ)
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真ん中の小出刃(鰺切りとも云います)一本で鰺をさばき、手前の菜切りでネギ等の薬味を刻みました。
私は料理歴3年弱ですが、包丁研ぎは十数年ですから(なにそれ?)
写真の薬味は、小ネギ、大葉、生姜、茗荷、大根、すべて自分で作るとありがたくて全部食べてしまいますね。いかがでしょう〜?

「なんか違うぞ」って思った方、よくお店で出てくアジ刺、アジ叩きの盛り付けを期待したのではないですか。
そう、こういうのが添えてあって、いかにも活き造りって感じの・・
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ま、いいんですけど私個人の感覚からするとイマイチなんですよね〜。
魚を食べない、まして生食などしない民族からみたら、相当不気味な料理だよな〜って思ってしまいます(はい、余計な心配です)
都心のスーパーで売ってる鰺ですので、そりゃぁ港町で上がったばかりの新鮮な刺身って訳にはいきませんが、気は心です、鰺を捌け!、ネギを刻め、全ては旨い酒のためなんです〜。

はい今夜はこの辺で、じゃぁね〜





(19:48)

2014年04月06日

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No.1〜2.では悪戦苦闘の様子をさらしてしまいました。
ま、ド素人が見よう見まねでやってることだし、笑って許してネ。
それでも、まぐれビギナーズラックというのはあるわけで、今回は
「一発でなんか上手くいっちゃったぜ !」って事例の紹介で〜す!

基本的にレシピはネットに多数上がっているものを参考に、要するにパクって、さらに自分に都合のいいように組み合わせ、あと店で食した記憶も勝手に折り込みながら試作してます。

「揚げ出し豆腐」
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この時の勝因は、木綿豆腐の水抜きが上手くいったことに尽きますね。
豆腐を湯通ししているときに、ちょうど宅配便が届き、対応中ちょっと長めに煮てしまったのです。ありゃ、もうそのまま食えるが・・・
さらにペーパーにくるんで2時間ほど水分を抜いたのが良かったようです。まぐれです、はい。
それから初めて自作したもみじおろしが上手く出来ました。
揚げ油でオクラを素揚げにして付け合わせ、九条ネギと生姜をそえて完成です。
居酒屋の定番をものにしちゃいました。

「揚げ出し大根」
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揚げ粉は 片栗1:1小麦粉 というのは揚げ出し豆腐と時と同じです。
中身の大根はだし汁で軽く煮て、冷ましながら味を染みこませました。
おでんと同じ要領で、おでんほど煮込まないってことですかね。
揚げ出しにバリエーションが出来ました。
こういう風に上手くいっちゃうと、また次をやってみたくなりますね。

キッチン
では、こういう肴をどこで作っているのか?
という疑問に早めにお答えしておきますね。
港区のワンルームが私の写真事務所となっておりまして
キッチンというか、部屋の隅に2口のガスコンロとシンクが付いただけの狭〜いスペースなんです。
狭いので定番の電子レンジという奴は使ってません、ネット上のレシピには電子レンジで加熱というのが良く出てくるのですが、すっ飛ばして無視です、だってないんだもの。
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オレンジ色のランプはむかし暗室で使っていたセーフライト
もちろん今は何の意味もない飾りです。
タイマーはこれも暗室用、アメリカ製グララボ(こちらはタイマーなので役に立ってます)
実は料理らしいことを始めて気付いたんですが、一連の作業がアナログ時代の暗室作業に似てるのですね。
温度や分量、時間を量ったり、熟練した手つきが求められます。
あと材料の良し悪し、作業の質が結果(この場合は味や見た目)にしっかり反映されますから。
というのは、いま勝手に思いついて云ってみただけで、じつのところ旨い肴を安く作って、旨い酒が飲めたら、もうそれで充分楽しいのですよ、はい。

そうです、カメが歩いて肴action・・・まだ3回だが、目指せ100回記念

じゃぁね〜



(16:07)

2014年04月04日

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おっ!早くもNo.2をアップできるとは・・我ながら以外ですが
今回のお題は季節感溢れる「菜の花」でございます。
辛子酢味噌をそえて完成で〜す。
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1. 最初の挑戦
先日いつものスーパーの店頭に千葉産の菜の花を見付け、あぁもうそんな季節かどれひとつ頂こうか・・などと粋人を気取ったわけじゃないけど、つい買ってしまった(実は安かった)わけです。
ネット上のレシピを参考にさっと90秒湯がいて冷水にとって(いいぞ)、
辛子酢味噌で頂きま〜す・・
が、あれれ、なんか違うぞ〜!
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「日本料理は目でも楽しむ」というのは私が残した名言・・
・・なわけじゃなく広く一般に知られているところですが、なにこの淀んだ色合いは?(わびさび?)
実は同じスーパーで売っていた出来合いの辛子酢味噌を使ってしまったのです。
一応、造形と色彩にはこだわりを持つ(はずの)写真屋家業なので、これは許せん、なっとらん!再影、やり直しっ、となりました(そこそこ美味しかったけど辛子が効いてないのが致命的)

2.再挑戦
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まずは明るめの黄色い酢味噌を作るべくあれこれ見渡した結果、京都の白味噌が良さそうでした。
後は洋辛子(多め)、酢、酒、薄口醤油(少量)で砂糖は入れないという線に落ち着きました。
辛子がツンと鼻に来るくらいが良いのですよ。
ついでに良いゴーヤが出回り始めたので買っておく。
菜の花の茹で時間は前回どおり90秒、すぐに冷水にとって、よく絞って出来上がり。
先の完成写真のとおりです。やったぁ〜

3.拡張
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実は「菜の花」以前に私の切り札というべき、必殺メニューを手にしていたのですよ。
ゴーヤのお浸しと言うんだろうか?これも90秒塩茹でにして、冷水に取り辛子酢味噌で頂く。茹ですぎは駄目です、90秒ですよ!
以前取材先でご馳走になり何となく憶えていたものを完成させました。

これはですね、これから先のシーズンに超お勧めですよ。
ゴーヤの苦みをビールの苦みが追いかけ追い越し、またまたゴーヤの苦みに追いつ追われつ・・という無限連鎖反応!
飲みの臨界という所まで行ってしまいます。

ほら金曜で明日撮影ないので、帰りそびれてしまったじゃないですか!
マジ、困るんだよなぁ〜

じゃぁね〜






(23:21)

2014年04月01日

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仮のタイトルを「カメが歩いて肴action!」としたい….ナ
不況の折、自分の酒の肴くらい自分で作っちゃえ、だって外に飲みに行く余裕がないんだも〜ん・・ってことで、料理歴3年目のカメラマンによる自主制作迷走お料理番組なんですよ〜、はい。
その一回目「はたはたの唐揚げ」の完成で〜す!
こんがりカリッと揚がったお魚さん達が嬉しそうに歌を唄ってますね。
頭ごと頂ける、冷やした日本酒にぴったりの一品でした。
星三つです〜!(^_^)v
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でも、実は料理もローマも一日にしては成らず、事ここに至るにまでには幾多の試練が(2回ほど)あったのですよ。お時間のある方聞いていって下さいませ。

1.事の発端
では、なぜ鰰(はたはた)なのか?というと、
私どもカメラマンってのはロケや取材であちこち出掛けては、その土地土地の美味しいものを頂く機会に恵まれているわけです。
特に気心の知れたいつものスタッフでの晩ご飯、ロケ飯というのは人生で上から18番目くらいに大切なものなのですね。(毎日コンビニ弁当に缶ビールひと缶だけなら必ず脱走者が出ます)
で、今から10年以上前に北陸の居酒屋でこの唐揚げに出会い、あれは旨かったなぁとその後も時々思い出していたわけです。
そんなある日、いつもの西麻布のスーパーで鰰を見付けたので、喜び勇んで買って帰りました。
ちょうど「揚げ物」の練習を始めた頃だったので、早速揚げてみることにしました。
当日フェイスブックにアップした写真。
ほぼ1年前ですね。
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2. 最初の挑戦
ネットにあがっている捌き方、鰰の口から割り箸を突っ込んでエラと内臓を抜き取る「つぼ抜き」も上手くゆき、あとは「唐揚げ粉」をまぶして油で揚げて早速頭からガブッと・・いってみたのだが
あれ?なんか変だな!身もフニャフニャで妙に油っぽいゾ!
がっかり、期待はずれ、おまけに胃にもたれて気持ち悪いじゃないか〜
「失敗だナ・・」..とその後は放ったらかしにしてました。

3.気付き、変化
ほぼ一年が過ぎた先日、同じスーパーでまた鰰を見付けました。
よく見ると「はたはた干し」となってるぞ、前回は生、ピカッ☆
あ〜っ!そうかあれは鰰の一夜干しを唐揚げにしたものだったのかも〜
確かに身も引き締まりそのまま炙って食べても旨い(その方が普通か)
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4.二度目の挑戦
逸る気持ちを抑えながら、今度は一夜干しの鰰に唐揚げ粉をまぶして揚げてみた。
やったぁ〜・・かというとこれまたなんか違うぞ!
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カリッと揚がるには揚がったが、今度は塩辛すぎるし、揚げ色も濃くて見掛けが悪いなぁ〜。
しかし、ここまで来ればもう先は見えたようなものでした。
一夜干しで塩気も強くなった鰰に、前回と同じ市販の味の濃い「唐揚げ粉」を使ってしまったからではないか?そうだそれに違いない。

5.三度目の挑戦
そう言えばネットで他の揚げ物レシピを見ていたときに、唐揚げには片栗粉をつかっていたようだったし、さらに「片栗粉1:1小麦粉」というのもあったなぁ〜。
念のため半分残しておいた鰰に片栗+小麦粉をまぶして揚げたみた・・

はい、そうです!お察しのとおり、ついにやりました!
最初の完成写真がその結果です。
獅子唐の素揚げといっしょにレモンを絞って頂こう。
苦労の甲斐あって、実に味わい深い美味しい肴の完成で〜す。
ハタハタ迷惑な奴といわず、この先もどうぞ温かく見守ってやって下さいまし。

カメも歩いて肴action,まずは第一回の終了です。

じゃぁね〜(^_^)v



(21:15)

2014年03月14日

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はい、予告通り四国の現存天守、全4城のうちのひとつ
香川県丸亀市の「丸亀城」へ登城の巻です。
まるがめ? 〜最近関東でも店舗が増えた讃岐うどんチェーンの「丸亀製麺」の丸亀ですが、香川や近県以外の人ですぐに丸亀市の地理的位置を説明出来る方は少ないのではないでしょうか。
大方はどこそれ? 関東圏からだと四国か!飛行機で行くんだなってことかもしれませんが、まぁとにかく行って来ました。
まずはその姿、城振りをご覧下さい。
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丸亀城 : 香川県丸亀市一番丁

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別名:亀山城、蓬莱城
高い石垣と漆喰塗りの天守が美しい城でした。
現存十二天守のなかでは最も小振りの天守だそうです。
開館時間は9:00~16:00、年中無休と素晴らしい!


城造りに最も貢献した城主は、1658年六万石で入封した京極高和で、大手門、天守などはこの時に完成しています。
以後丸亀藩は明治維新まで京極氏七代の城下町として続きました。
ちなみに現在の丸亀市のキャラクターは「京極くん」だそうです。

丸亀市は瀬戸内海を挟んで対岸の岡山と瀬戸大橋でつながっていて、車や列車で海を渡って行けるわけです。
岡山駅から丸亀駅へはJR線各駅停車で約60分、特急だと40分です。
それで岡山あたりへの出張機会を覗っていたところ先月末、ぴったり
「岡山市で撮影しろ」という指令を頂いたので、はいはいと二つ返事ですっ飛んで行きました。もちろん仕事はきっちり仕上げてます、はい。

この城歩きは当初、書籍版「司馬遼太郎と城を歩く」をベースにしていたのですが、その後NHKからビデオ版「〜城を歩く」DVD-BOXセット全8巻も出ました(NHK-BSで放送 2007~2008年)
見てない持ってないけど、ま、歩きのネタが増えて続けやすくなったかもしれません。なお書籍版に未収録だった今回の丸亀城がビデオ版の方に収められています。
そこで丸亀城ゆかりの司馬作品として取り上げられているのが
「龍馬がゆく」なのです。
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「竜馬がゆく」
今更説明の必要もない、明治維新の立役者坂本龍馬を主人公にした長辺歴史小説。
司馬遼太郎の代表作というだけでなく歴史小説ランキングでも常に上位を維持する人気作。
今のドラマ、映画での龍馬像はこの小説で作り上げられたようです。
僕もこれで司馬作品のファンになったのですよ。


え!、讃岐の丸亀で龍馬?・・・ですよね。
ビデオ版の解説を見ると、龍馬が丸亀藩を訪ねるくだりがあるというのです、が、はてそんなのあったかな?
十数年前に読んだ「竜馬がゆく」をパラパラとめくってみると、
あ、確かにありました!
第二巻(風雲編)、まだ土佐脱藩まえの龍馬が剣術修行という建前で、実は萩城下で長州藩勤王党に接触し、討幕運動の実情を調べに行くという話が出ておりました!(すっかり忘れてました)
その旅の途上、丸亀に寄って藩の剣術師範、矢野市之丞の道場で他流試合をする羽目に陥るという小説的展開になっています。
丸亀に立ち寄ったのは、記録も残っていて事実のようですが…
丸亀市も龍馬人気になんとかあやかりたいのでしょうね。

では、話を城に戻して、現存天守での決まり事、最上階より丸亀市街、瀬戸内海方面を望みました。
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これも現存の大手一の門(右)と大手二の門(手前)そして天守という図。
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そういえば、龍馬って日本全国を旅してますよね。
徒歩の時代ですよ、凄いです。
僕も気分だけは龍馬で各地の城下を訪ね続けたいなぁ〜と思ったところで頁も気力も尽きました。
次の予告はやめて、適当にやらせて頂きます。

じゃぁ また

(21:29)